通信教育機関
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1885年(明治18年)、東京法学校は通信教育機関「中央法学会」を設立し、『中央法学会雑誌』を創刊した。これは地方にいながら法律学を学ぼうとする志のある者に、3年間にわたって毎月3回、東京法学校の講義内容を掲載した雑誌を送り、質問があれば東京法学校の教員に意見を求めて、それを書面で回答し、年度末の試験に合格すれば及第書を発行、3年の全課程を修了した及第者には卒業証を与えるというシステムであった。また、在京者を対象として月1回、東京法学校でのスクーリングも行っており、成績優秀者は同会の学資をもって東京法学校に入学を許可された。『中央法学会雑誌』の内容は講義録で、薩埵正邦・堀田正忠・富井政章・岩野新平・松室致らが執筆を担当し、開会に当たっては代理法・総論を富井政章が講義した。 この中央法学会には、入会希望者が2ヵ月足らずで1000名以上集まり、第一期卒業生は数十名にのぼった。卒業前の1887年(明治20年)には、判事試験に21名、代言人試験に10名が、この「通信教育生」から合格している。その後、『中央法学会雑誌』は、『和仏法律学校講義録』『法政大学講義録』へと受け継がれ、戦後、日本で初めての大学通信教育課程へ発展することになる。
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