著者と送り先
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 00:57 UTC 版)
「エフェソの信徒への手紙」の記事における「著者と送り先」の解説
本書は以下のように始まっている:「神のご意志によってイエス・キリストの使徒となったパウロが、エフェソの聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々に手紙を送ります」(エフェソ1:1) そのためこの手紙の宛先がエフェソの共同体であり、著者がパウロであるとされてきた。しかし、近代以降の聖書批評は、以下のような問題点を明らかにした。 現存する最初期の写本には「エフェソの」という言葉は見られず、単に「聖なる人々、イエス・キリストを信じる人々」が宛先になっている。 文中にはエフェソの人々に関する言及や、パウロのエフェソでの体験が一切語られていない。 1:15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が対象となった人々についてあまり知らないことを示している。これは『使徒言行録』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって滞在したという記述と矛盾する。 このような矛盾を解決する説明もいくつかあげられる。たとえば以下のような説がある。 『エフェソ書』はパウロの手によるものではない。他のパウロ書簡についてよく知る著者がパウロの名を借りて書いたものである。ただ、この理論では「エフェソの」という言葉が初期の写本にないことを説明できない。 『エフェソ書』は特定の共同体にあてたものでなく、小アジアの複数の共同体で回覧するためのもので、その一部を変えてエフェソの共同体向けにしたものに過ぎない。 1964年にイギリスのハリスンは「Paulines annd Pastoral」において、「感受性が強かった青年時代にパウロ本人と親密にしていたため、パウロの心を深層まで知っていた」として、パウロからフィレモンへの要請によって奴隷から解放されて宣教者となり(コロサイ3章9節)、やがてエフェソの司教となったオネシモ著者説を公表している。
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