著者について、および表題の意味について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 18:00 UTC 版)
「ピカトリクス」の記事における「著者について、および表題の意味について」の解説
イスラーム圏の歴史家イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』において『ピカトリクス』の著者を1005年と1008年の間に死去した数学者アル=マジュリーティーとみなした。しかし著者はその発端を50年ほど後に定めている。他の人々は、ピカトリクスはアラビア語文献におけるブクラーティースまたはビクラーティースという名への転写を経たヒッポクラテスに帰するものと論じている。ラテン語テキストはブクラーティースという名をピカトリクスと翻訳するが、ブクラーティースが誰であるかを特定するものではない。これはヒポクラテスの名の転訛であると論じる人もいる が、本文中ヒポクラテスが Ypocras という名で言及されていることからこの説は不評となった。もっと説得力があるかもしれない別の説は、ピカトリクスはマスラマのラテン語形であると主張する。この説によれば、ラテン語の語根 picare はアラビア語のマスラマの語根 m-s-l の翻訳であり、「突き刺す、または蛇のように噛み付く」を意味している。これはピカトリクスとその著者とされたマスラマ・アル=マジュリーティーとを強く結びつけるものであるが、本書の著述とアル=マジュリーティーの死との年代の齟齬という問題は残る。
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