著者に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 08:13 UTC 版)
「ザ・フェデラリスト」の記事における「著者に関する論争」の解説
論文のリスト(英文)も参照 『ザ・フェデラリスト』の論文のうち73編の著者はかなり確かなものになっている。残り12編は学者の間の論争の的となっているが、現代で同意されている見解は、マディソンが第49篇から第58篇までを書き、第18篇から第20篇はマディソンとハミルトンの共同執筆、第64篇はジョン・ジェイによるものということであるが、新しい証拠ではマディソンが著者であることを示唆している。最初にどの論文がどの著者によるものかを公開したのは、ハミルトンがアーロン・バーとの決闘の前に弁護士に各篇の著者を示すリストを与えたことだった。このリストではハミルトンが63編(そのうち3編はマディソンとの共同)を書いたとしており、全体のほぼ4分の3に相当した。これは初めて著者名を記した1810年版の根拠として使われた。 マディソンはハミルトンのリストに即座に異論を唱えなかったが、1818年のギデオン版『ザ・フェデラリスト』には独自のリストを与えた。マディソンは29編が自分の著作であると主張し、2つのリストにある違いは「ハミルトンのメモが作られたときの疑いもない性急さによる」ことを示唆していた。ハミルトンが犯した明らかな誤りは第54篇をジョン・ジェイ作としていることであり、実際には第64篇とすべきである。このことはマディソンの示唆に幾らか信憑性を与えた。 単語の使用頻度や文体に基づいて著者を特定するための統計解析が何度か行われた。その解析のほとんど全てが論争のある論文はマディソンによって書かれたことを示した。
※この「著者に関する論争」の解説は、「ザ・フェデラリスト」の解説の一部です。
「著者に関する論争」を含む「ザ・フェデラリスト」の記事については、「ザ・フェデラリスト」の概要を参照ください。
- 著者に関する論争のページへのリンク