著名な建築家による高価値・高価格品の店舗として計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:55 UTC 版)
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@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}スポーツクラブの「当知スポーツクラブ」跡地(その前身はトヨタ自動車の輸出車係留地)に建設された。清水建設の社有地だった関係もあり、設置・建設の施工は同社が担当している。構想時は「アピタ」に代わる新業態「ル・マルシェ」として計画が進められたが、結局アピタに落ち着いた。建設段階では別棟にセガが大規模なアミューズメント施設を出店する計画があったが、敷地北側にある名古屋市立当知中学校のPTAを中心とする建設反対派に押し切られて出店を断念している。[要出典] 当店の開業に先行する6月17日にオープンしたアピタ岐阜店と同様、イタリアの著名建築家であるアルド・ロッシに店舗・外観の設計などを依頼。国内の大手スーパー系ショッピングセンターとしては、初めて外国人の著名な建築家を起用したものであった。外観が水色・黄色・オレンジ色で塗られた印象的な色彩となったのもこのことからである。 当時のユニーのショッピングセンターで最大規模の当店は、1992年(平成4年)に計画概要を発表した時点(当時は仮称の「名古屋港(みなと)ショッピングセンター」)では生活創庫、アピタなど売場面積10,000m2以上の大型店が好調であり、新店舗を大型店主体の開発とする方針とし。ユニーが当時“ハイバリュー・ハイプライス商品を販売する業態”として位置付けていたアピタ業態で出店されることとなった。 こうした経緯もあり、当店とアピタ岐阜店は出店経費は店舗面積1m2当たり約50万円から約60万円に達し、この2店舗のみ新規出店した1994年(平成6年)2月期のユニーの設備投資額は約300億円強となり、6店舗を出店する1995年(平成7年)2月期の設備投資額とほぼ同額となった。
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