華厳経と盧舎那仏とは? わかりやすく解説

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華厳経と盧舎那仏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:06 UTC 版)

東大寺盧舎那仏像」の記事における「華厳経と盧舎那仏」の解説

大仏は姿の上では釈迦如来など他の如来像と区別がつかないが、『華厳経』に説かれる盧舎那仏という名の仏である。『華厳経』は西暦400年前後に中央アジア成立し中国経由日本もたらされ仏教経典で、60巻本80巻本40巻本3種類の漢訳本があるが、うち奈良時代日本もたらされたのは60巻本80巻本である。前者5世紀東晋仏陀跋陀羅訳で「旧訳」(くやく)、「六十華厳」といい、後者7世紀末、唐の実叉難陀訳で「新訳」、「八十華厳」という。盧舎那仏はこの華厳経説く蓮華蔵世界」の中心的存在であり、世界存在そのもの象徴する絶対的な仏である。六十華厳では「盧舎那仏」、八十華厳では「毘盧遮那仏」と表記されるが、これらの原語サンスクリットの「Vairocanaヴァイローチャナ」であり、密教における大日如来Mahāvairocanaマハー・ヴァイローチャナ)と語源等しくする。 『続日本紀』によれば聖武天皇天平12年2月740年)、河内国大県郡大阪府柏原市)の知識寺盧舎那仏像を拝し、これが大仏造立きっかけとなったという。知識寺の跡は柏原市太平寺残り7世紀後半の瓦が出土している。なお、ここでいう知識」とは、信仰同じくする人々集団である「同志」「同信」といった意味である。同じ天平12年10月聖武四十賀に際し新羅華厳教学学んだ審祥金鐘寺にて華厳経講義している。盧舎那大仏造立背景はこうした華厳経』に基づく信仰があった。

※この「華厳経と盧舎那仏」の解説は、「東大寺盧舎那仏像」の解説の一部です。
「華厳経と盧舎那仏」を含む「東大寺盧舎那仏像」の記事については、「東大寺盧舎那仏像」の概要を参照ください。

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