草履「パティパティ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 14:00 UTC 版)
ケニアにおけるエイズ流行問題にも深い関心を寄せていた岸田は、エンザロ村で裸足で生活する人が多かったため、生活改善活動の一環として現地の材料で作った日本のわら草履も普及させた。当初は助産師の足をHIV陽性の産婦の血液から守るために導入を進めていたが、現地の一少年が製法に興味を示したため、学校教育に取り入れることになり、裸足の危険性を考えさせる衛生教材や便所用の履物としても活用されている。 岸田は以前から草履作りを知っていたわけではない。裸足では足の裏に傷ができてしまうため傷口から病気が感染する事を心配した岸田は、お金をかけずに現地の人でも作れる履物として遠野の草履を思いつき、1996年にアフリカから一時帰国した際に土淵町の伝承園に向かい、そこにいるお年寄りたちに草履作りを学んで帰りたいと作り方を教わった。短期間で覚えたという。なおケニアでは藁の代わりにバナナの木や皮、トウモロコシの皮、パピルスの茎を使う。
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