茶銘とお詰めとは? わかりやすく解説

茶銘とお詰め

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:11 UTC 版)

抹茶」の記事における「茶銘とお詰め」の解説

にはそれぞれ初昔はつむかし)」「後昔あとむかし)」「千代昔」「の白」「青海白」などの銘がつけられる茶人茶銘趣向凝らして楽しむようになったのは江戸時代入ってからだと考えられている。茶畑は「茶園」、製茶業者は「茶師(ちゃし)」と呼ばれる茶師は元々は茶葉茶壷などに詰めて納めたころからお詰め」とも呼ばれる「昔」「白」 茶銘末尾ついている「昔」「白」という表現は、現代では濃茶薄茶区別として用いられる。しかし、本来は昔だけであり、後になってに対して白という表現用いられた。昔という字は、最上級の初摘みを行うといわれる3月20日 (旧暦)廿日)の「廿(にじゅう)」と「日」を組み合わせたものとの説がある。 白という表現は、江戸幕府三代将軍徳川家光時代見られ当時大名茶人が盛んに白く」と宇治茶師に求めたことがきっかけといわれる当時の「白く」という表現何を意味していたかは不明である。古田織部青茶を、小堀遠州は白い好んだという記録が遺されている。宇治では、白と青の違い茶葉蒸し加減によるとされている。おそらくは嗜好移り変わりを示すものと考えられる。また業界一説では、製茶過程において特に初摘み新芽に白い産毛入ったものが多く見られることがあり、そのような貴重な新芽用いたお茶はふわふわとした白い産毛が入るお茶となることから、その「白」呼んでいたのではないかとしている。 銀座平野園(創業明治16年東京銀座)には「御園の白」という銘の濃茶明治時代から今日至り存在する当時店主草野話一は明治天皇献上する抹茶の銘を考えていた際、濃茶用い上質な茶葉を臼で挽く時に臼の周囲特有の白い輪が広がることから茶銘を「御園の白」と名付けた。また明治天皇が病を患った際、話一は銀座の地にて自ら臼を挽いて製造した御園の白」から抹茶アイスクリーム製造して献上した

※この「茶銘とお詰め」の解説は、「抹茶」の解説の一部です。
「茶銘とお詰め」を含む「抹茶」の記事については、「抹茶」の概要を参照ください。

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