茨城大学の施設へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 15:54 UTC 版)
「六角堂 (北茨城市)」の記事における「茨城大学の施設へ」の解説
天心の没後は遺族が引き継いだが、1942年(昭和17年)に財団法人岡倉天心偉績顕彰会が設立され、管理者となった。1955年(昭和30年)、同会の会長であった横山大観は、しかるべき公的機関が管理すべきと考え、茨城大学に寄付を打診した。そして六角堂を含む五浦の天心遺跡3,143m2は、岡倉天心偉績顕彰会から茨城大学へ寄付され、五浦美術文化研究所となった。同研究所は岡倉天心遺跡の保存と天心に関する研究を目的とし、1963年(昭和38年)には天心記念館を設置した。同年、六角堂の改修を行っている。 1963年(昭和38年)、平櫛田中から「五浦釣人」の像の寄贈を受けたのを機に天心記念館が整備され、さらにこれを受けて天心の遺品などが多数寄贈された。1980年(昭和55年)には日本美術院研究所跡が観光資源財団等によって天心遺跡記念公園として整備、一般公開された。 六角堂はこの間、4度の改修が施され、創建当時とは異なる姿へと変わっていった。例えばガラス戸は、観光者の観覧利便性のためにアクリル板に変更された。1975年(昭和50年)4月に大岡信が訪れた際には、海側はガラス戸で陸側の白塗りになった一面は壁龕(へきがん、壁をへこませた構造)のようになっていた。1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にかけて茨城県が海岸補強工事を行った際に六角堂の基礎と床板の補強を実施するが、後の津波で残されたのはこの時の工事で補修された部分であった。 2003年(平成15年)に歴史的景観を認められ、長屋門や岡倉天心旧居と同時に国の登録有形文化財となった。
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