茨城師範から高師へとは? わかりやすく解説

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茨城師範から高師へ(1886-1893)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 06:53 UTC 版)

永井道明」の記事における「茨城師範から高師へ(1886-1893)」の解説

1886年明治19年9月茨城中を卒業した道明は、家計事情上京することがかなわなかったため、茨城師範学校(現・茨城大学教育学部)へ進学した。ここで道明兵式体操出会って心身鍛錬し、その成績が優秀であったことから運動会卒業式での兵式体操指揮号令担当した1年生途中で飛び級したことから、1889年明治22年春に茨城県尋常師範学校茨城師範学校から改称)を卒業し、同附属小学校(現・茨城大学教育学部附属小学校訓導着任した教員生活1年終わり1890年明治23年)に高等師範学校高師、後の東京高等師範学校、現・筑波大学博物科に進学した道明進学した当時高師は、募集する学科は年に1つだけであり、受験生自由に希望学科を選ぶことはできなかった。入学早々道明テニスにはまり、1学期の間に靴を2足も破るほどで教師称賛集めたが、あまりにも熱中しすぎたため、自制のために2学期からはそれほど得意ではなかった鉄棒転向した茨城師範時代から練習していた器械体操蹴上けあがり)の習得には3年もかかり、この経験指導者になった際に役立ったという。不得意ながらも日々鉄棒に向かう道明を、学生仲間は「竿上人」とあだ名した。また、高師では普通体操坪井玄道から学んだが、すでに水戸星野久成学んでいた道明坪井の癖のある動作見抜いていた。

※この「茨城師範から高師へ(1886-1893)」の解説は、「永井道明」の解説の一部です。
「茨城師範から高師へ(1886-1893)」を含む「永井道明」の記事については、「永井道明」の概要を参照ください。

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