英仏の進出と植民地抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)
「インドの歴史」の記事における「英仏の進出と植民地抗争」の解説
詳細は「第2次百年戦争」を参照 インド産の手織り綿布(キャラコ)がヨーロッパに持ち込まれると大流行となり、各国は対インド貿易を重視したが、その過程で3次にわたる英蘭戦争が勃発、オランダは北米大陸とともにインドでも根拠地を失っていった。イギリスはマドラスに続き、1661年ボンベイ(ムンバイ)、1690年カルカッタ(コルカタ)を獲得、一方、フランスも徐々にインド進出を図り、コルベールがフランス東インド会社を再建、1673年シャンデルナゴル、1674年ポンディシェリーを獲得した。 利害が対立した英仏両国は18世紀になると、新大陸と同様にインドでも抗争を続け、1757年、ベンガル地方のプラッシーにおいて、ロバート・クライヴ率いるイギリス東インド会社がベンガル太守軍とフランス東インド会社の連合軍を打ち破り(プラッシーの戦い)、植民地抗争におけるイギリス覇権が確立した。
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