英仏それぞれの目標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:11 UTC 版)
「トラファルガー戦役」の記事における「英仏それぞれの目標」の解説
詳細は「ナポレオンのイギリス侵攻計画」を参照 1798年、かねてよりイギリス侵攻をもくろんでいたナポレオン1世は、直轄軍である「アーミー・オブ・イングランド」を英仏海峡岸に駐留させた。ナポレオンはエジプトとオーストリアの作戦に集中しており、またアミアンの和約が締結されたため、1802年にこの侵攻計画はいったん棚上げされた。1803年には再び衝突が始まって、この計画が復活し、ブローニュ郊外の野営場に陸軍部隊が集められ、侵攻艦隊を召集する準備が行われた.。侵攻を成功させるに当たって、主な妨げとなるのはイギリス海軍だった。しかしナポレオンは、英仏海峡をフランス艦隊が6時間支配することさえできれば、海峡横断は成し遂げられると宣言していた。フランス軍が予定していた出発地はイギリス海軍に情報をつかまれ、厳重に海上封鎖されていたが、海軍第一卿のメルヴィル卿ヘンリー・ダンダス(英語版)は動員できる艦船の不足に陥っていた 。もし仏西連合艦隊が、ほんのわずかな間でもイギリス艦を持ち場から遠ざければ、フランスの侵攻部隊は何物にも邪魔されずに海峡を横断できるはずであった。フランス側の目標は、少なくとも一時的に海峡を支配することであり、他方、イギリス側は万難を排してこれを阻止しようとしていた。
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