若井小づえとは? わかりやすく解説

若井小づえ・みどり

(若井小づえ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/02 09:23 UTC 版)

若井小づえ・みどりは、元女流漫才コンビ。吉本興業大阪本部所属。師匠は若井はんじ・けんじ。活動期間は1965年 - 1991年。


  1. ^ ただし芸人との結婚は許されていた。かつてみどりはトップホットシアターに出ていた頃、はな寛太と見合いさせられた事もあった。桂べかこ(現・桂南光)からもプロポーズされたが断ったという。
  2. ^ 実際はそれ以前に新世界新花月の女流大会に人手が足りなかったので急遽稽古もままならないまま初舞台を踏んでいた。
  3. ^ 田川元祥&リズムワゴンボーイズのドラマー・轟盛次で漫画トリオの初代横山フックの娘。


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若井小づえ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 13:55 UTC 版)

若井小づえ・みどり」の記事における「若井小づえ」の解説

若井小づえ(わかい こづえ、本名五十嵐 雍子(いがらし ようこ)、1947年12月21日 - 1999年1月13日大阪府大阪市出身血液型AB型ボケ役。服装こだわり日本初めファッション・スタイリスト専属で自ら雇った女性漫才師自称実際に雇っていたのはみどり)。濃い化粧と、スタイルのよい長身(みどりは割合小柄である)に個性的なファッション、その頭上には大ぶり帽子被り、「嫁にもぉて!」「おっきがーるに!」と客席への激し結婚願望アピール特徴とする。基本的にアピールギャグ実らないが、客が「もぉたる!」と叫んだことがあり、その時驚きのあまり舞台そっちのけで相手探し回るほどだった(そして照れていた)。 名前の表記最初「こづえ」であった姓名判断で「こずえ」とし、その後尊敬する4代目林家小染の小をもらい「小づえ」と変わっている解散後吉本芸人としての活動続け一方永年鍛練していたヨガ指導者務めていた。みどりと違い生涯独身通し良い意味悠々自適日々送っていた最中1998年年末仕事打ち上げパーティ席上クモ膜下出血倒れ救急搬送されるも意識が戻らぬまま51年生涯幕を閉じた

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