芸術協議会とそれ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 02:18 UTC 版)
「ニュー・ワールズ」の記事における「芸術協議会とそれ以降」の解説
ムアコックがロバーツ&ビンテルから引き継いだ時に、従来のダイジェスト版から、美術性向上のために高級誌風の大判に変更した。この最初の号はディッシュの「キャンプ・コンセントレーション」の掲載された1967年7月で、この作品は主人公の露骨なセリフのためにアメリカでは出版できなかったものだった。他の新しい作家には、M・ジョン・ハリスン、ロバート・ホールドストックがおり、二人とも1968年11月に登場した。同年12月にはS.R.ディレイニー「時は準宝石の螺旋のように」、1969年4月にはハーラン・エリスン「少年と犬」が掲載される。 1967年7月剛にはパメラ・ゾリーンの処女作「宇宙の熱死」が掲載され、これは『ニュー・ワールズ』でもしばしばメタファーとして使われるエントロピーを扱ったものだった。この作品はエドワード・ジェームズの言う「SF的で科学的な言語を用いて、日常生活の中に完全なイメージを喚起し、読者の現実認識を変革する」ことを目指している、ムアコックがこの雑誌で目指した手法の最も優れた例と言える。「インナー・スペース(内的宇宙)」という語は元々J・B・プリーストリーの作ったものだが、ムアコックの世に出した作品の対象として、伝統的SFの対象とする「アウター・スペース(外的宇宙)」との対比でしばしば使われ、ジェームズはこれを「イギリスのニュー・ウェーブの合言葉であり、ガーンズバックとキャンベルを捨てたことを識別するための象徴」とみなした。これらの作家の方法と関心は、伝統的なSF作家とはまったく異なり、現実世界よりも内面に向かい、素材の異常な配置や、心理学的な考察といった実験的な手法に挑んだ。 アンソロジー形式への移行で、実験的な作品は減少した。ムアコックが明確にした編集方針は、伝統的SFを排除することでなく、ジャンルの境界を完全に取り除き、SFが主流文学の一種として扱われるようにすることだった。しかし季刊となるとスフィア社により、売り上げ増のためにSFというラベル付けがなされる。季刊アンソロジーの時期に登場した作家には、マータ・ランドル、エレノア・アナスン、ジェフ・ライマン、レイチェル・ポラックらがいる。 1990年代になると、1960-70年代の『ニュー・ワールズ』の雰囲気は失われ、ムアコック、ポール・ディ・フィリッポ、イアン・マクドナルドらの優れた作品が掲載されるが、経営的には成功しなかった。
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