芦屋河原の合戦とは? わかりやすく解説

芦屋河原の合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 20:56 UTC 版)

芦屋河原の合戦(あしやがわらのかっせん)は、戦国時代初期の永正8年7月26日1511年8月19日)から8月10日まで摂津国武庫郡鷹尾城と芦屋河原周辺で行われた合戦。細川澄元軍は軍勢を二分して進軍、一方が阿波よりに上陸、7月13日深井城の合戦となり、もう一方が兵庫に上陸、芦屋河原の合戦となった。別名「葦屋河原の戦い」や「鷹の尾城の戦い」とも呼ばれている。


注釈

  1. ^ 「灘」は、東は武庫川河口(西宮市)から西は生田川河口(神戸市)に至る[2]六甲山地大阪湾に挟まれた東西に長い平野部を指す地名である。灘五郷参照。
  2. ^ ここでの「灘五郷」は、芦屋荘(現在の芦屋市付近)・山路荘(現在の神戸市東灘区東部付近)・得井荘(現在の神戸市灘区付近)・都賀荘(現在の神戸市灘区付近)・葺屋荘(現在の神戸市中央区(旧葺合区)付近)の総称であり[3]、近世以後に発展する5つの酒造地の総称「灘五郷」とは地理的に重なるものの異なる概念である。
  3. ^ 近江で澄元軍との挟撃を狙っていた義澄は船岡山合戦の直前に水茎岡山城で病死していた。

出典

  1. ^ a b c d e f 芦屋市指定文化財 芦屋川の文化的景観 芦屋川の歴史”. 芦屋市教育委員会. p. 6. 2021年10月18日閲覧。
  2. ^ 1.室町~江戸時代”. 灘五郷:歴史. 灘五郷酒造組合. 2020年7月9日閲覧。
  3. ^ 田辺眞人 2021, p. 86.
  4. ^ a b c 芦屋の生活文化史 -民族と史跡をたずねて- 第一章 芦屋の歴史概要 中世”. 芦屋市立図書館. p. 6. 2021年10月18日閲覧。
  5. ^ 有井, 大国 & 吉川 2007, pp. 54–55


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