船員・乗組員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:44 UTC 版)
18世紀から19世紀初頭にかけて、奴隷船の船員はしばしば低賃金で、厳しい規律と待遇を受けていた。さらに船員の死亡率は航海中に約20%と予想され、病気や鞭打ち、奴隷の反乱によって船員が死亡した。乗員の条件は奴隷の条件よりはるかに良かったが、過酷であり続けたため高い死亡率につながってしまったのである。船員は、大西洋の航海の間、甲板の下のスペースが奴隷に占拠されていたため、オープンデッキで庇いもなく生活し、眠らなければならないことが多かった。 病気、特にマラリアと黄熱病は船員の最も一般的な死因であった。帰港時の乗組員の死亡率が高いと、母港に到着した際に支払わなければならない船員の数が減るため、船長の利益となった。生き残った船員は、帰国後に賃金をだまし取られることが多かった。奴隷貿易のこうした側面は広く知られていた。船員の間で奴隷船が有名だったため、奴隷船の乗組員は強制的に、あるいは他に仕事が見つからなかったために参加した。これはしばしば刑務所で過ごした船員のケースであった。 イギリスの奴隷船の乗組員には、黒人の船員がいたことが知られている。彼らはアフリカやカリブ海の出身であったり、イギリス生まれであった。現存する記録から、研究者によって何十人もの人物が特定されている。しかし、多くの船長が乗組員の民族性を船の召集令状に記録しなかったため、その知識は不完全である。アフリカ人男性(時にはアフリカ人女性)も翻訳家として活躍した。
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