船員の移送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:19 UTC 版)
カンボジア軍は、拘束した「マヤグエース」の船員をコー・タン島に上陸させ、軍の基地で5月13日の夜を過ごさせた。翌14日朝、船員らは、別に数ヶ月前から拿捕されていたタイ船籍の漁船に乗せられ、4隻のカンボジア軍小型艇の護衛の下に本土のシアヌークビルへと出航した。 護送船団の出航に気付いたアメリカ軍は、コーラート基地から航空隊を出動させ、威嚇射撃や催涙ガス弾の投下を行って阻止しようとした。カンボジア軍警備艇への直接攻撃も行われ、1隻が撃沈され、別の1隻も大破(後に完全喪失)した。生き残った3隻のカンボジア艇はコー・タン島へ引き返したが、拘束船員の乗ったタイ漁船は前進を続けた。タイ人漁船員は引き返そうとしていたが、監視役のカンボジア兵が銃で脅して許さなかった。「マヤグエース」の船員らはシャツを白旗代わりに振って米軍機に合図を試み、その旨の報告を受けたフォード大統領は船員死傷のおそれがあるとして攻撃中止を命令した。実際に、船員のうち3名が弾片で負傷していた。 漁船がシアヌークビルに着くと「マヤグエース」の船員らは下船させられ、25km西方に浮かぶコーロン島の軍施設に抑留された。こうして船員は全員が本土に移送されていたのであるが、アメリカ政府は船員の多くはコー・タン島か「マヤグエース」船内に残されていると誤認していた。
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