自治州発足(1975-)
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「カタルーニャの歴史」の記事における「自治州発足(1975-)」の解説
1975年にフランコが死去すると、アドルフォ・スアレス内閣の下でスペインの民主化(英語版)が進められた。1977年6月には1936年以来初となる民主的総選挙(1977年スペイン議会総選挙)が行われ、カタルーニャでは左派政党が約5割、カタルーニャ民族主義政党が3/4の得票を得た。スアレス首相はジャナラリタット(自治政府)の復活を優先し、1977年10月にはタラデーリャスが政党の枠組みを超えたジャナラリタットを組織した。スアレス首相の下で地域主義を容認するスペイン1978年憲法が制定され、1979年カタルーニャ自治憲章(スペイン語版)が制定されてカタルーニャ自治州が発足した。1977年9月11日のカタルーニャ国民の日には参加者数が100万人を超えるデモが行われている。 1973年には経済の急成長が頭打ちとなり、1979年の第二次石油危機では繊維・金属・電化製品・建設の各業界が打撃を受け、1982年にはカタルーニャ銀行が倒産した。1979年の失業率は8.9%だったが、1985年には22.8%にまで上昇し、スペイン平均を上回る高い数字を示した。世界経済の復調に合わせて、1985年頃からはカタルーニャ経済も回復。1986年にはスペインがヨーロッパ共同体(EC)に加盟し、経済基盤の整っているカタルーニャ州に進出した外国企業はスペイン全体の1/3を占めた。1992年にはスペイン初の夏季オリンピックとしてバルセロナオリンピックが開催され、カタルーニャのイメージを世界に広める役割を果たしている。1990年代には経済面で外国籍企業への依存が進み、国内移民に代わってEU外からの移民が増加した。
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