臆測報道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:41 UTC 版)
事件発生の約2週間後の9月26日に、10月1日に行われる予定であった国慶節パレードが突然中止されることが発表され、併せて人民日報の紙上にも林彪の名が現れなくなったので、「毛沢東重病説」や、「何か重大な政変があったのではないか」との観測が世界中に広まった。 さらに10月1日には、「モンゴル領内で国籍不明機が墜落した」というモンゴル国営通信社電を各社が一斉に報じ、それと同時に林彪失脚の噂が世界的に広まる。10月は日本の主要各紙とも、北京を訪問中のルーマニア高官が乾杯で林彪の名前を省略したこと(10月12日、AFP電)を伝えたり、「林彪重病説」(10月9日、ニューヨーク・タイムズ)を伝えるかと思えば、『中国画報』という雑誌に林彪の写真が掲載されていること(10月27日、ロイター電)を伝えたりとブレがあるが、11月頃からは失脚の可能性を伝える報道が主流となる。例えば産経新聞は11月2日付け外報トップで、「ナゾ深める”林彪氏失脚”の原因」という記事を掲載している。 またこの頃には、中華人民共和国内にネットワークを持っている中華民国の諜報機関経由で、香港にいる西側諸国の諜報関係者やマスコミ関係者に事件の概要と林彪の死亡が伝えられていた。
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