胡耀邦と日中関係とは? わかりやすく解説

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胡耀邦と日中関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:52 UTC 版)

胡耀邦」の記事における「胡耀邦と日中関係」の解説

1983年11月訪日では昭和天皇会見して天皇訪中要請当時交渉担当したのは胡錦濤)、日中首脳会談では中曽根康弘首相が、中国側提示した3原則に「相互信頼」を加えて4原則にしたいと述べ民間有識者からなる日中友好二一世紀委員会』の設立提案し、胡はこれに賛同した他方胡は、日本青年3000人を中国1週間招待するプラン披露して日本側を驚かせた。この『ニ一世紀委員会』は1984年発足し、いわば「第2トラック」として日中間の問題調整行ってきた。また、中曽根首相は胡とは「兄弟のように非常に親しい仲だった」と述懐している。来日した際には中国首脳として唯一広島原爆ドームなどを視察している。 1986年中曽根首相訪中した際は、中国人青年毎年500人ずつ招待することを提案し胡耀邦プラン応えた胡耀邦時代は、日中国交正常化後、日中関係が最も良好な時期だった。胡耀邦親日政策一つ要素だったと考えられる。胡は1985年靖国参拝問題でもかなり柔軟に対応し1986年第2次教科書問題でも抑制した態度をとった。日本の軍事増強についても歓迎すらしていた。また、中曽根首相韓国全斗煥大統領来日の際に提案していた中韓国交樹立ソウルオリンピックなどのスポーツ交流、またはLT貿易事務所通商代表部設置をすれば日本としても中国同盟国である北朝鮮との貿易を行う用意があると伝えた同年9月韓国開催され1986年アジア競技大会への中国参加実現するも、この時点で胡は韓国対中姿勢評価しつつ日朝貿易中韓国交正常化提案否定的だった。さらに胡は「年寄り引退させる」と中曽根述べており、これらの世代交代人事案や「対日接近」が、後の胡耀邦の「辞任」の引き金一つになったと言われる

※この「胡耀邦と日中関係」の解説は、「胡耀邦」の解説の一部です。
「胡耀邦と日中関係」を含む「胡耀邦」の記事については、「胡耀邦」の概要を参照ください。

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