胡耀邦による改革
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1980年5月29日、党中央書記処総書記胡耀邦がチベット視察に訪れ、その惨憺たる有様に落涙したと言われる。胡耀邦は、ラサの演説で、チベット政策の失敗を表明して謝罪し、共産党にその責任があることを認め、「中央政府は今まで数十億元をチベットに費やした。チベット自治区はどこに使ったのか。川に投げ捨てたのか。」とチベット自治区政府を批判、チベットの自治を強化し、中央政府の政策がチベットの現実に合わなければチベット人はそれを拒否し、廃止する権利を持つ」と約束した。胡耀邦は、チベット自治区書記の任栄を解任し、さらに自治区の中国人幹部を85%交代し、政治犯たちを釈放、チベット語教育を解禁した。しかし、1980年8月に予定されていた4回目のチベット亡命政府視察団派遣は中止された。 改革開放以来、チベット人の自由が一定程度高まり、チベットの各地でダライラマ14世の写真が掲げられるようになった。1982年、中国憲法に基づき、信教の自由を改めて保証した上で、僧院の再建事業に着手させ、外国人旅行者にもチベットを開放した。 だがチベット人に対する弾圧は依然として続き、1982年5月には、チベット人活動家115人が逮捕された。
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