羽黒 (犬山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 20:56 UTC 版)
地理
犬山市の南部に位置する[1]。南は羽黒新田や楽田、西は丹羽郡大口町に接している[1]。西側を名鉄小牧線が通っている[1]。南側を五条川が西流し、荒神川、半ノ木川、郷川が五条川に注いでいる[1]。
河川・池沼
- 五条川 - 庄内川水系の一級河川。入鹿池から流れ、清須市とあま市の境界で庄内川水系の新川に合流する。
- 新郷瀬川 - 人工河川。羽黒字水井戸付近で五条川から分岐し、郷瀬川を経由して犬山市街地の北側で木曽川に合流する。
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五条川と桜
字一覧
- 赤坂(あかさか)[WEB 4]
- 赤坂西(あかさかにし)[WEB 4]
- 小豆田(あずきだ)[WEB 4]
- 東畑(あずまばた)[WEB 4]
- 池ノ向(いけのむかえ)[WEB 4]
- 井島(いじま)[WEB 4]
- 稲葉(いなば)[WEB 4]
- 稲葉東(いなばひがし)[WEB 4]
- 井ノ尻(いのじり)[WEB 4]
- 馬道(うまみち)[WEB 4]
- 浦畑(うらばた)[WEB 4]
- エンゼチ(えんぜち)[WEB 4]
- 大見下(おおみした)[WEB 4]
- 懸ケ(かけ)[WEB 4]
- 合戦橋(かっせんばし)[WEB 4]
- 上大日(かみたいにち)[WEB 4]
- 上前川原(かみまえがわら)[WEB 4]
- 上前洞(かみまえぼら)[WEB 4]
- 川西(かわにし)[WEB 4]
- 川原口(かわらぐち)[WEB 4]
- 北金屋(きたかなや)[WEB 4]
- 北郷(きたごう)[WEB 4]
- 北巾(きたはば)[WEB 4]
- 北山手(きたやまて)[WEB 4]
- 貴船浦(きふねうら)[WEB 4]
- 荒神洞(こうじんぼら)[WEB 4]
- 河北東(こぎたひがし)[WEB 4]
- 小安(こやす)[WEB 4]
- 桜海道(さくらかいどう)[WEB 4]
- 桟敷(さんじき)[WEB 4]
- 三反田(さんたんだ)[WEB 4]
- 島田(しまだ)[WEB 4]
- 下惣境(しもそうさかい)[WEB 4]
- 下大日(しもたいにち)[WEB 4]
- 下堂前(しもどうまえ)[WEB 4]
- 下ノ山ノ田(しものやまのた)[WEB 4]
- 釈迦ノ下(しゃかのした)[WEB 4]
- 城屋敷(しろやしき)[WEB 4]
- 神明(しんめい)[WEB 4]
- 水井戸(すいど)[WEB 4]
- 摺墨(するすみ)[WEB 4]
- 角畑(すんばた)[WEB 4]
- 惣境(そうさかい)[WEB 4]
- 高橋郷(たかはしごう)[WEB 4]
- 高見(たかみ)[WEB 4]
- 高屋(たかや)[WEB 4]
- 竹ノ腰(たけのこし)[WEB 4]
- 田中(たなか)[WEB 4]
- 田中畑(たなかばた)[WEB 4]
- 段ノ上(だんのうえ)[WEB 4]
- 長田(ちょうだ)[WEB 4]
- 寺浦(てらうら)[WEB 4]
- 寺海道(てらかいどう)[WEB 4]
- 徳間屋敷(とくまやしき)[WEB 4]
- 外山(とやま)[WEB 4]
- 外山北(とやまきた)[WEB 4]
- 外山野(とやまの)[WEB 4]
- 鳥茸(とりたけ)[WEB 4]
- 堂ケ洞(どうがぼら)[WEB 4]
- 中深田(なかふかだ)[WEB 4]
- 成海郷(なるみごう)[WEB 4]
- 南郷(なんごう)[WEB 4]
- 西五反田(にしごたんだ)[WEB 4]
- 西下市場(にししもいちば)[WEB 4]
- 西向畑(にしむかいばた)[WEB 4]
- 根比敷(ねびしき)[WEB 4]
- 根比敷取茸片平(ねびしきとりたけかたびら)[WEB 4]
- 子安(ねやす)[WEB 4]
- 畑合(はたえ)[WEB 4]
- 畑間(はたま)[WEB 4]
- 八幡(はちまん)[WEB 4]
- 八幡西(はちまんにし)[WEB 4]
- 八幡東(はちまんひがし)[WEB 4]
- 八反田(はったんだ)[WEB 4]
- 半ノ木(はんのき)[WEB 4]
- 東下市場(ひがししもいちば)[WEB 4]
- 東向田(ひがしむかいだ)[WEB 4]
- 東向畑(ひがしむかいばた)[WEB 4]
- 低見(ひくみ)[WEB 4]
- 吹上(ふきあげ)[WEB 4]
- 二日町(ふつかまち)[WEB 4]
- 古市場(ふるいちば)[WEB 4]
- 鳳町(ほうちょう)[WEB 4]
- 細目(ほそめ)[WEB 4]
- 前川原(まえがわら)[WEB 4]
- 溝口(みぞぐち)[WEB 4]
- 南金屋(みなみかなや)[WEB 4]
- 南若宮(みなみわかみや)[WEB 4]
- 宮浦(みやうら)[WEB 4]
- 宮浦下(みやうらした)[WEB 4]
- 向浦(むかいうら)[WEB 4]
- 元苗田(もとなえだ)[WEB 4]
- 山ノ田(やまのた)[WEB 4]
- 吉原(よしはら)[WEB 4]
歴史
中世

『尾張国地名考』によれば、羽黒という地名は埴黒の略であるという[2]。建長5年(1253年)11月と推定される渋谷定心所領注文に「一所尾張国羽黒庄内中津留村」とあるのが羽黒という地名の初見である[2]。
室町時代には室町幕府の御料所であった[2]。中世には梶原氏が羽黒城を居城としていたが、織田信長配下の梶原景久は本能寺の変で討死し、梶原氏の滅亡とともに羽黒城も廃城となった。信濃国下伊那郡(現・長野県下伊那郡阿南町)の瑞光院は、享禄4年(1531年)に羽黒の鋳物師が鋳造した梵鐘を有していた[2]。天正12年(1584年)に羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康連合軍が戦った小牧・長久手の戦いでは激戦地の一つとなった[2]。
近世
江戸時代には尾張国丹羽郡に羽黒村があり、尾張藩領で小牧代官所の支配を受けた[2]。寛文年間(1661年~1673年)に編纂された『寛文郷帳』による村高は2566石余であり、同時期に尾張藩によって編纂された『寛文村々覚書』には家数214・人数1555とある[2]。天保年間(1831年~1845年)に編纂された『天保郷帳』による村高は2556石余[2]。
近代

明治時代初期に編纂された『旧高旧領』による村高は3059石余[2]。1868年(明治元年)には羽黒村が犬山藩領となった[2]。同年5月14日、未曾有の大雨によって入鹿池の堤防が決壊する入鹿切れが起こった。池の水が下流側の羽黒村などに流出し、多数の人家が流出したほか、多くの村人が溺死などにより死亡した[3]。他村も含めた死者は941人、負傷者は1471人、流失家屋は807戸にも及んだ[WEB 5]。興禅寺には入鹿切れの慰霊碑が建立されている[WEB 5]。
1878年(明治11年)、羽黒村は十吉新田を編入した[2]。1889年(明治22年)、町村制の施行によって羽黒村と羽黒新田村からなる丹羽郡羽黒村大字羽黒が発足した[2]。旧村名を継承した2大字が設置されている[2]。1891年(明治24年)の戸数は586、人口は2496だった[2]。
1915年(大正4年)の戸数は574、人口は2880だった[2]。1931年(昭和6年)には名岐鉄道大曽根線(現・名鉄小牧線)に羽黒駅が開業した。
現代
1954年(昭和29年)、羽黒村など1町4村が合併して犬山市が発足し、大字として羽黒が設置された[2]。1965年(昭和40年)に博物館明治村が開業すると、1985年(昭和60年)までは羽黒駅にバスのアクセス拠点が置かれていた。
1987年(昭和62年)、羽黒の一部が長者町に編入された[2]。
交通

施設

- 小弓の庄(旧加茂郡銀行羽黒支店) - 羽黒字古市場。1931年(昭和6年)に竣工した擬洋風建築の銀行建築を転用した、1999年(平成11年)開館のまちづくり拠点施設。明治期の地方銀行の特徴をよく残した建築物とされる[4]。2001年(平成13年)には愛知まちなみ建築賞を受賞した[WEB 6]。2002年(平成14年)には犬山市都市景観賞を受賞した[4]。登録有形文化財。
- 犬山羽黒郵便局 - 羽黒字神明。
- 犬山市民文化会館・犬山南部公民館 - 羽黒字摺墨。
- 二日市公民館 - 羽黒字二日市。
- 犬山市体育館 - 羽黒字大見下。
- 羽黒中央公園 - 羽黒字竹ノ腰。
- JA愛知北羽黒支店 - 羽黒字前川原。
- さとう病院 - 羽黒字下大日。
- 小弓鶴酒造 - 羽黒字成海郷。日本酒・ビールメーカー。代表銘柄は「小弓鶴」。嘉永元年(1848年)に日本酒の蔵元として創業し、1998年(平成10年)にビールの醸造も開始した。2024年(令和6年)までは犬山ローレライ麦酒館を運営していた。
- 東洋自慢酒造 - - 羽黒字前川原。日本酒メーカー。代表銘柄は「東洋自慢」。1902年(明治35年)創業。
- 三進製作所本部・犬山工場 - 羽黒字貴船浦。
- リスパック犬山本社工場 - 羽黒字宮浦。
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犬山市民文化会館
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犬山市体育館
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小弓鶴酒造
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犬山ローレライ麦酒館
名所・旧跡

- 鳴海杻神社 - 羽黒字成海郷。式内社。旧郷社。創建年は不詳[WEB 7]。祭神は鳴海天神、山岬多良志、高於加美神。本殿、祭文殿、社務所、拝殿、藩塀、弁天堂が登録有形文化財[WEB 7]。
- 比良賀神社 - 羽黒字摺墨。創建年は不詳[WEB 7]。祭神は天照大神、素盞嗚尊、天香語山命[WEB 7]。
- 興禅寺 - 羽黒字城屋敷。臨済宗妙心寺派の寺院[5]。承安4年(1174年)、梶原景時によって真言宗の光善寺として創建された。文明11年(1479年)、臨済宗に改宗して興禅寺に改称した[WEB 7]。天正12年(1584年)には小牧・長久手の戦いの羽黒合戦で焼失したが、慶長7年(1602年)に再興された。本堂、山門、庫裏が登録有形文化財。
- 笑面寺 - 羽黒字寺浦。臨済宗妙心寺派の寺院[5]。天文19年(1550年)創建[WEB 7]。
- 立圓寺 - 羽黒字子安。真宗大谷派の寺院[5]。明応8年(1499年)に創建され、寛永13年(1636年)に田中寺から立圓寺に改称した[WEB 7]。
- 観音寺 - 羽黒字子安。真言宗智山派の寺院[5]。天平19年(747年)に美濃国芥見に建立され、その後現在地に移転した[WEB 7]。1868年(明治元年)に入鹿池の堤防が決壊した入鹿切れで流失したが、1883年(明治16年)に再建された[WEB 7]。
- 見性寺 - 羽黒字田中。臨済宗妙心寺派の寺院[5]。明和8年(1771)創建[WEB 7]。
- 寶龍院 - 羽黒字鳳町。真言宗醍醐派の寺院[5]。創建年は不詳[WEB 7]。
- 羽黒城址 - 羽黒字摺墨。中世には梶原氏の居城だったが、天正10年(1582年)の本能寺の変後に梶原氏が滅亡したことで廃城となった[6]。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉方の砦として用いられた[6]。興禅寺に隣接している[6]。
- 吉野家住宅 - 羽黒字成海郷。小弓鶴酒造の本宅。主屋、離れ、新座敷、土蔵、庭門及び土塀が登録有形文化財。
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鳴海杻神社
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比良賀神社
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興善寺山門
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笑面寺
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羽黒城址
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吉野家住宅
脚注
WEB
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp “愛知県犬山市羽黒の住所一覧”. ゼンリン. 2025年8月28日閲覧。
- ^ a b 入鹿切れ慰霊碑(興禅寺境内) 愛知エースネット
- ^ “第8回愛知まちなみ建築賞”. 愛知県. 2024年9月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “寺社一覧”. 犬山市. 2025年8月29日閲覧。
書籍
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
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