羽田殴打事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 15:00 UTC 版)
1975年5月30日の対阪急ブレーブス戦(西宮球場)で、監督の西本幸雄によるいわゆる「羽田殴打事件(球団広報誌「近鉄バファローズニュース」1995年9月号では「ポカリ事件」と記載)」が、発生している。この試合の5回表、西本は選手に円陣を組ませ、阪急の先発投手・山口高志の攻略法として、「ワンストライクを待て。高めのボールは絶対に手を出すな」と指示した。ところがその回の先頭打者だった羽田は円陣に加わらずに打席に立っていたため、指示を知らずに2球続けて高めに手を出してファウルの後、ショートゴロに倒れた。これに怒った西本は、ベンチに戻ってきた羽田を殴打した。オフ日のためネット裏から目撃した鈴木啓示は「びっくりした」と述べている。試合はこの後、近鉄打線が山口を打ち崩して勝利した。羽田は三田学園野球部の監督就任会見の際、理想とする指導者として西本の名前を挙げて「本当に厳しい方で、今ではやってはダメだけど、手を出す方。でもグラウンドから一歩出ると優しくて、面倒見のいい監督だった。当時の選手は誰一人、悪口を言わなかった。そういう選手から慕われる監督でありたい」と思いを口にした。
※この「羽田殴打事件」の解説は、「羽田耕一」の解説の一部です。
「羽田殴打事件」を含む「羽田耕一」の記事については、「羽田耕一」の概要を参照ください。
羽田殴打事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:34 UTC 版)
1975年5月30日、阪急西宮球場での対阪急戦の試合中に西本が羽田耕一を殴打した事件である。 この年、話題を集めた阪急のルーキー・山口高志に対して、近鉄は打撃投手を前から投げさせるなどの対策を練り、9日前の初対戦では勝利した。この日は先発した山口に4回を終わって0-1の状況で、5回表の攻撃前に西本監督は円陣を組ませ、「ワンストライクを待て。高めのボールは絶対に手を出すな」と注意した。しかしこの回の先頭打者だった羽田は、2球続けて高めのボール球をファウルした後、ショートゴロに打ち取られる。怒った西本は、ベンチに戻ってきた羽田の頬を平手打ちした。オフのためネット裏から目撃した鈴木啓示は「びっくりした」と述べた。 実は羽田は、試合の円滑な進行のための先頭打者の慣習としてウエイティングサークルに入っており、西本の指示は聞きようがなかった。当の羽田自身は、引退後に「最初は悔しかったけど、時間が経つにつれてしょうがないと思った。僕は怒られることは多かったが監督に対して絶対的な信頼があったので反抗したことはなかった」と語っている[要出典]。なお、5回の攻撃で羽田が凡退した後に近鉄は3点を挙げて逆転、最終的には6-2で勝利している。 西本は後日、羽田が円陣に加われなかったことを梨田昌崇から「羽田はあの時監督の指示を聞いてません」と指摘され、「しまった!」と感じたものの、羽田に対しての謝罪は行っていない。これは近鉄が球団合併によって消滅する際に出された刊行物の中での西本のインタビュー、羽田と栗橋茂の対談で明かされている[要文献特定詳細情報]。 2015年2月2日に行われた三田学園高校の監督就任会見の際羽田は理想とする指導者として西本の名前を挙げて「本当に厳しい方で、今ではやってはダメだけど、手を出す方。でもグラウンドから一歩出ると優しくて、面倒見のいい監督だった。当時の選手は誰一人、悪口を言わなかった。そういう選手から慕われる監督でありたい」と述べていた。
※この「羽田殴打事件」の解説は、「西本幸雄」の解説の一部です。
「羽田殴打事件」を含む「西本幸雄」の記事については、「西本幸雄」の概要を参照ください。
- 羽田殴打事件のページへのリンク