美伯線(廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 09:20 UTC 版)
国道179号を経由して岡山県津山市と鳥取県倉吉市を結ぶ路線バスは、中国鉄道(1967年に中鉄バスへ改称、2008年11月1日に中鉄北部バスへ分社)が津山から、日ノ丸自動車が倉吉から路線を運行しており、県境の人形峠付近で接続していた。しかし、この2都市を直通する路線バスの運行はなかった。このため、1954年ごろから沿線自治体が国鉄バスの運行に関して陳情を行っていた。国鉄バスでは、既に1948年に貨物自動車路線の開設に伴って津山自動車営業所を開設しており、ここを拠点として津山と倉吉を結ぶ路線の運行を計画した。 しかし、既存の2社は国鉄バス運行には反対の立場をとり、調整が難航したため、運輸審議会において公聴会が開かれる事態になった。最終的に、既存の2社と共通乗車制度を導入し、自動車駅の営業を日ノ丸自動車に委託することで2社と合意となった。 こうして、1955年8月16日より津山駅と上井駅(当時)の79kmを結ぶ美伯線の運行が開始された。これは国鉄バス(旅客自動車)としては初めての鳥取県進出であった。改正鉄道敷設法には「岡山縣勝山ヨリ鳥取縣倉吉ニ至ル鐡道」が記載されており、本路線は鉄道線の先行という使命を有していた。路線名は「美作」と「伯耆」の頭文字をとったものである。なお、本路線の運行直前の1955年7月11日に津山自動車営業所は倉敷自動車営業所に統合され、同営業所の津山支所となった。1958年5月1日に開始された三朝温泉への乗り入れは、当初は一部の便に限られていたが、国鉄バス全体で観光輸送に力が入れられた1960年代には、全便が三朝温泉に乗り入れることになった。なお、1962年12月29日には倉敷自動車営業所は岡山自動車営業所に移転され、同営業所の津山支所となった。 しかし、モータリゼーションの進展とともに利用者数が減少した。1981年11月5日に人形峠の人形トンネル開通に伴い経路を変更した時点で、運行本数は3往復(全便急行バス)のみとなっていた。結局、国鉄再建の波の中で1985年3月31日限りで美伯線は休止となり、国鉄バスは鳥取県から撤退することとなった。同時に、津山支所は廃止(廃止後は中国ハイウェイバスの車庫として継続使用され、西日本ジェイアールバスに継承後の現在でも使用されている)となった。 本路線以後、国鉄バス・JRバスの鳥取県乗り入れ路線は、2003年にももたろうエクスプレスに中国ジェイアールバスが参入するまでは、高速バス路線による高速道路の通過を除いて存在しなかった。 津山駅前 - 院庄駅前 - 奥津振興センター前 - 奥津温泉 - 上齋原 - 石越(→中鉄バス→中鉄北部バス) かみさいばら温泉 - 穴鴨・三朝温泉口・倉吉駅(→日本交通大阪本社、日本交通鳥取本社、山陰特急バスの区間利用) 木地山 - 穴鴨 - 三朝町役場前 - 倉吉駅(→日ノ丸自動車) 三朝車庫 - 三朝温泉駅(現・三朝温泉) - 三朝町役場前 - 倉吉駅(→日ノ丸自動車)三朝温泉駅は自動車駅で、業務は日ノ丸自動車に委託されていた。
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