緊急事態下での人肉食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:53 UTC 版)
「カニバリズム」の記事における「緊急事態下での人肉食」の解説
飢饉、戦争、食料不足による人肉食も世界各地に見られる。 生存のために他の人間の死体を食べた事例は、 1816年 メデューズ号遭難事故 - テオドール・ジェリコーによる絵画「メデューズ号の筏」で広く知られた。 1845年 ジョン・フランクリン探検隊遭難事故(フランクリン遠征) 1846年 ドナー隊遭難事故 - 後述。 1884年 ミニョネット号事件 1918年 デュマル遭難事故 - アメリカ合衆国の貨物船が落雷による爆発沈没のため、複数の救命艇に避難するも、乗員数に極端な偏りが生じた。 1921年-1922年 ロシア飢饉 (1921年-1922年) 1931年-1932年 ホロドモール スターリン治下のソ連で引き起こされた人工的な飢饉。 1943年 ひかりごけ事件 - 後述。 1972年 ウルグアイ空軍機571便遭難事故 - 後述。 緊急事態下を生き延びる手段としての人肉食は、食のタブーを超えて古今東西でしばしば見られる。近年の著名な例としては、1972年のウルグアイ空軍機571便遭難事故が挙げられ、遭難した乗客らは、死亡した他の乗客の遺体を食べることで、救助されるまでの72日間を生き延びた。『アンデスの聖餐』、『生存者』やこれを原作にした『生きてこそ』の映画で知られる。このような事例は厳密にはカニバリズムには含まれない。 他の例として、1846年のアメリカにおいて、東部からカリフォルニアを目指して出発した開拓民の一行であった西部開拓者のキャラバン・ドナー隊が旅程の遅れのためにシエラ・ネバダ山脈での越冬を余儀なくされ、山中トラッキー湖(英語版)畔において遭難した際は、発覚までに隊の中で死亡者を食べるという緊急避難措置が行われていた。さらに悪天候や当時の救助技術により完了するまでに長期間、数回に分けての救助となった。そんな折、最後の被救出者は、先の救出作業の際に渡されていた牛の干し肉があったにもかかわらず、共に残った婦人の肉を食べていた。これは緊急避難が人肉嗜食に転じた典型例である。彼はその婦人の殺害を疑われたが、証拠不十分で放免された。
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