絨毯業界への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 02:41 UTC 版)
「イクバル・マシー」の記事における「絨毯業界への影響」の解説
イクバルはアメリカやスウェーデンを訪れた際、子供の作った絨毯を業者が売ることのないよう、そして消費者が買うことのないよう語っており、両国は子供の強制労働の禁止をパキスタン政府に強く訴えた。やがてイクバルの訴えに応じてパキスタン製絨毯の不買運動がおこり、絨毯工場の経営者や事業主は大きな損を被った。授賞式を終えたイクバルがラホールに戻った頃には、十数件の絨毯工場が閉鎖に追い込まれる結果となっていた。このことから、イクバルの死は児童労働解放によって大損を被った違法者の報復と考える人々も多い。 イクバルの死後、BLLFのカーン代表はイクバルの最後の言葉の代弁として、子供たちが作った絨毯を輸入業者や消費者が買うことのないよう、国際連合人権委員会に申し立てた。これを受け、欧米諸国では絨毯も注文のキャンセルが相次ぎ、その額は日本円にして何億円単位にも上った。絨毯メーカーではこの損害を恐れ、BLLFとカーン代表がイクバルの死を利用して国の利益に害をもたらしているとの主張もあった。 こうした不買運動への対処として1995年7月には、少年労働の不使用を証明するラベルを政府が発行し、このラベル付き絨毯のみ輸出を認める規制策が発表された。しかしインドの社会福祉活動家であるニーラ・ブッラは、こうした改善の動きについて一応の評価をしながらも、「ラベルの件は経営者がいやいや応じたもので、取り締まる官僚次第で汚職の巣窟にもなり得る」と懸念している。
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