結成以前-デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:15 UTC 版)
「デペッシュ・モード」の記事における「結成以前-デビュー」の解説
1977年、学生だったフレッチとヴィンスが結成した "No Romance In China" が彼らのバンド活動の始まりである。結成当初フレッチはベース、ヴィンスはヴォーカルとギターを担当していたが、友人のロバート・マーロウがボーカルとして加入した。そのころマーティンはアコースティック・デュオでギターを弾いていた。 1979年、ヴィンスとマーティン、ロバートは友人のポール・レッドモンド(Paul Redmond)を招いて "The French Look" を結成。ボーカルはロバート、マーティンがギター、ヴィンスとポールがシンセサイザーを担当し、後のデペッシュ・モードを思わせる編成となった。ロバート・マーロウとポール・レッドモンドとの活動はここで終わるが、ロバートはミュージシャンとして4年ほど活動し4枚のシングルを出した後、休業。1999年に復帰し『The Peter Pan Effect』というアルバムを出している。 1980年に入りヴィンス、マーティン、フレッチにより "Composition of Sound" が結成。これがデペッシュ・モードの母体となる。結成当初はヴィンスがボーカルとギター、マーティンがキーボード、フレッチがベース担当だったが、やがてヴィンスとフレッチもキーボードに切り替える。そしてヴィンスはデヴィッド・ボウイの『英雄夢語り (ヒーローズ)』のジャム・セッションをしていたデイヴをバンドに招いて、「デペッシュ・モード」の結成となった。 デペッシュ・モードとして公式な最初の楽曲は、サム・ビザールのコンピレーションアルバム『Some Bizarre』に収録された「Photographic」だった。その後のサム・ビザールと所属アーティストの間の諸問題を見た限りでは、ここでデビューまで誘いがかからなかったのは運が良かったと言えよう。なお同コンピレーションに収録したバージョンは『ザ・シングルズ '81-'85』に収録されている。 デビューのきっかけは、彼らのステージを東ロンドンにあるパブ「ブリッジハウス」で見た、ミュート・レコードのダニエル・ミラーに声をかけられたことである。この出会いが、デペッシュ・モード、そしてミュート・レコードの後の運命を変えた。彼らは1981年2月にデビューシングル「Dreaming of Me」を発表。全英チャートで57位を記録する。続いてシングル「New Life」を発表、これが全英チャート11位を記録するスマッシュヒットとなり、3ヵ月後に出した「Just Can't Get Enough」では全英チャート最高8位と着実に成果を出していく。そして満を持して発表したアルバム『ニュー・ライフ』は全英チャート10位を記録し、評論家や雑誌から好意的な評価を得た。時代はニュー・ウェイヴの最盛期であり、その時流に乗った形となる幸先のよい船出であった。
※この「結成以前-デビュー」の解説は、「デペッシュ・モード」の解説の一部です。
「結成以前-デビュー」を含む「デペッシュ・モード」の記事については、「デペッシュ・モード」の概要を参照ください。
- 結成以前-デビューのページへのリンク