経済悪化の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:52 UTC 版)
「アルゼンチン経済の歴史」の記事における「経済悪化の原因」の解説
アルゼンチン経済は20世紀に目覚ましい発展を遂げながら、その後に正反対の後退を経験した。そのユニークさゆえに数えきれないほどの論文が書かれ、その衰退が止まらなかった原因について分析が行われてきた。ノーベル賞経済学者サイモン・クズネッツは「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、日本、そしてアルゼンチンだ」と言ったとされる。 Di Tella and Zymelman (1967)によれば、アルゼンチンと、オーストラリアやカナダのような移民国家の大きな違いは、フロンティアが完全に無くなり国土の拡大が止まるまでに、停滞を埋め合わせるだけの代替策をみつけられなかったことにある。Solberg (1985) は、カナダとアルゼンチン、それぞれの政府の土地分配に関する政策の違いに着目した。Solberg (1985) によると、カナダの政策が小規模農家を大量に生み出したのに対し、アルゼンチンの政策は広大な土地を所有する地主を少数、生み出す結果になったという。 Duncan and Fogarty (1984)は、オーストラリアの政治が安定的かつ柔軟であったのと対照的にアルゼンチンの統治がずさんであったことが重要な違いだと論じている。Platt and Di Tella (1985) は、様々な地域から移民が到来して異なる政治的伝統が持ち込まれたことに注目している。Díaz Alejandro (1985)は、オーストラリアのような非開放的な移民政策のほうが、比較的労働力が不足しがちで生産性が向上することを示している。 90年代にはTaylor (1992) が、アルゼンチンは比較的従属人口指数が低く、人口転換が遅かったことを指摘し、それが貯蓄率の低さをカバーする外国資本への依存につながったと論じている。1930年以降、輸入代替という産業政策を原因とする、相対的に高い(主に輸入された)資本財価格によって資本蓄積が阻害されたが、これも輸出主導型成長を遂げたカナダとは対照的である。資本財の相対価格が高くなった背景には、そのほかにも複数為替相場制度、外貨のブラックマーケットの横行、自国通貨の切り下げ、高い関税などのひずみが挙げられる。その結果、資本集約度が低くなり、労働生産性の低迷を招いた。 アルゼンチン経済が歴史的後退をした最大の要因は、一言でいえばその制度的枠組みにあると考えられている。マクロ経済学的に言っても、アルゼンチンは大恐慌までは非常に安定し堅調な経済成長を遂げていたが、恐慌が起こってからはきわめて不安定な国の仲間入りをしてしまった。
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