経済不況による全体主義化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:15 UTC 版)
「全体主義」の記事における「経済不況による全体主義化」の解説
不況による失業率の上昇は社会不安を増大させる。ドイツの例としては、1928年の総選挙ではドイツ社会民主党が33%、ドイツ国家人民党が15.8%、ドイツ共産党が11.7%の議席を獲得したのに対し、ナチ党はわずか2.6%であった。その翌年に米国で発生した世界恐慌の影響が西欧諸国に及び、ワイマール共和国の経済は急激に悪化した。1930年には首相に選出されたハインリヒ・ブリューニングが財政規律を重視し、不況の最中にもかかわらず政府支出を抑制した。その結果、景気悪化が加速したために政府は減収となり、1932年には失業率は約30%にまで達した(浜矩子のように、この時期のドイツ国の失業率は40%を越えていたとするエコノミストもいる)。不況の深刻化と平行してナチ党への投票傾向が強まり、1930年の総選挙ではナチ党の得票率は19.2%に上昇、その2年後の選挙では32.4%の得票率で大躍進した。既存政党が政局に明け暮れ、景気回復のための経済政策をとる責任を事実上放棄していたのとは対照的に、ナチ党はその不況から脱するための策を講ずると有権者に約束していた。そしてナチ党はそのための理論を有していた。経済運営の責任所在の明確化、景気対策の具体的な計画、議会での議論よりも計画の実践に比重を置く、などである。ヒトラーはアウトバーン建設といった公共事業をはじめとする大規模な財政支出によって、ドイツ経済を完全雇用の水準にまで回復させた。 「アウトバーン」も参照
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