経営統合へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:11 UTC 版)
こうした中、もはや単独での生き残りは困難と考えた東海銀行は、1998年9月、同じく地銀的性格を持つ都銀下位行であったあさひ銀行(現りそな銀行・埼玉りそな銀行)と、2000年10月を目処に持株会社方式の経営統合で合意、2001年秋には、地域別に銀行を再編し、さらに賛同する地方銀行を組み合わせ“マルチ・リージョナル・バンク”を目指す方針を立てた。東海銀行があさひ銀行をパートナーに選んだ理由として、規模的に大差がないことに加え、あさひ行内が旧埼玉銀行系と旧協和銀行系で人事抗争を繰り返しており、東海銀行で主導権が握れると考えたためであった。 1999年8月に第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行による3行統合(みずほフィナンシャルグループ)、続く同年10月にはさくら銀行・住友銀行の合併(三井住友銀行)が発表され、企業グループの枠を超え、急速に都銀上位行のメガバンクへの再編が進む。両行の交渉が長引く中での相次ぐ金融再編で、「東海・あさひ」連合は、規模的に中途半端となっていた。 こうした金融再編に一人取り残されていたのは、その強烈な行風が世間の反感を買い他行から避けられていた三和銀行であった。再編に乗り遅れた三和銀行は、首脳陣が同じ名古屋大学出身であった「東海・あさひ」連合に急接近する。「東海・あさひ」連合も、スケールメリットを希求する中で、2000年3月、この「3行による持株会社統合」を受け入れることになった。東海銀行にとって、三和銀行は1.6倍の規模を持っていたが、あさひ銀行と組めば、主導権を取られまいと考えていた。 しかし、三和銀行は経営の迅速化を名目に3行の合併を主張し始める。また、営業政策でも、欧米のリージョナルバンク(地域銀行)を模範とする地域密着型の戦略を重視するあさひ銀行と、統合によって自己資本を充実させ、国際業務や大企業融資を重視するマネーセンターバンク戦略を重視する三和銀行の新銀行戦略との隔たりは大きかった。経営主導権を三和に握られることを嫌ったあさひ銀行は、2000年6月に構想より離脱する。
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