組合のドン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:04 UTC 版)
1952年、チームスターズ委員長のデイブ・ベックにより副委員長に抜擢され、同時に組合トップ機関の理事になった。1957年、汚職発覚で逮捕されたベックに代わり、3代目チームスターズ委員長に就任した(数多くの北米マフィアの後押しがあった)。全会一致の支持ではなかったが、ライバルは支部ごとに分散し、比較的マイナーな存在だった。アメリカ北部のトラック運転手をほぼ手中にし、航空業界の組合も傘下に入れた。1964年、北米のトラック運転手をたった一つの契約下に置く同一賃金協定を実現させた。1960年代、組合員は150万人を超え、チームスターズをアメリカ最大の労働組合に押し上げ、共和党や民主党に対抗する第3の政治勢力を形成した。 副委員長時代の1955年に分散していた支部レベルの小口年金を統合して新たな年金制度を始めた。年金保険料の徴収額は1955年時点で月80万ドルだったが、1960年代半ばに月600万ドルまで膨張した。年金資産は銀行に運用委託するのが恒例だが、ホッファは自前で投資先を決め運用した。 マフィア傘下のラスベガスのホテル、ゴルフリゾートなどに低利で融資し、見返りに莫大な手数料・リベートを受け取った。年金運用団体の理事たちはお飾りで実質権限はなく、ホッファの補佐役アレン・ドーフマンが年金コンサルタントの肩書で年金資産をコントロールした。
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