終戦 - 国交回復後とは? わかりやすく解説

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終戦 - 国交回復後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 01:42 UTC 版)

渡辺トミ・マルガリーダ」の記事における「終戦 - 国交回復後」の解説

1945年には終戦迎えたが、ブラジル日系人依然救済を必要としていた。トミたちは1947年3月18人の日本人たちと共に日本戦災同胞救済会」を結成しブラジル赤十字社許可のもと、募金活動行なった集められ募金は、アジア救済連盟物資として日本届けられた。1949年9月にはララ物資日本向け援助物資)を集めるために「聖母婦人会」を創立しカトリック信仰基づいた社会福祉活動続けてきた。 1951年に、日本連合国軍による占領から解放されブラジルとの国交回復した。これにより日本からはまた、多く移民見込まれた。それに伴い救済会も、貧困者、病人老人孤児らの相談救済で一層、多忙さ増したトミもまた多忙極めており、その仕事徐々に生活を圧迫し始めた1953年2月6日に夫の儀平事故死し、トミにとって大きな打撃となったが、3人の子供たちが支えとなり、トミ夫の死以前同様、救済会の仕事続行した1953年3月27日カトリック日本人救済会は、民間社会福祉法人アシステンシァ・ソシァル・ドン・ジョゼ・ガスパール(日本名は「救済会」、以降救済会」と表記)として登録された。これにより救済会は、これまでのようなボランティアではなく政府公認団体として活動が可能となったトミはこの理事長就任した。同1953年帰化しブラジル国となった

※この「終戦 - 国交回復後」の解説は、「渡辺トミ・マルガリーダ」の解説の一部です。
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