終戦 - 国交回復後
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「渡辺トミ・マルガリーダ」の記事における「終戦 - 国交回復後」の解説
1945年には終戦を迎えたが、ブラジル日系人は依然、救済を必要としていた。トミたちは1947年3月、18人の日本人たちと共に「日本戦災同胞救済会」を結成し、ブラジル赤十字社の許可のもと、募金活動を行なった。集められた募金は、アジア救済連盟の物資として日本へ届けられた。1949年9月にはララ物資(日本向けの援助物資)を集めるために「聖母婦人会」を創立し、カトリック信仰に基づいた社会福祉活動を続けてきた。 1951年に、日本は連合国軍による占領から解放され、ブラジルとの国交も回復した。これにより日本からはまた、多くの移民が見込まれた。それに伴い救済会も、貧困者、病人、老人、孤児らの相談や救済で一層、多忙さを増した。トミもまた多忙を極めており、その仕事は徐々に生活を圧迫し始めた。1953年2月6日に夫の儀平が事故死し、トミにとって大きな打撃となったが、3人の子供たちが支えとなり、トミは夫の死去以前同様、救済会の仕事を続行した。 1953年3月27日、カトリック日本人救済会は、民間社会福祉法人アシステンシァ・ソシァル・ドン・ジョゼ・ガスパール(日本名は「救済会」、以降「救済会」と表記)として登録された。これにより救済会は、これまでのようなボランティアではなく、政府公認の団体として活動が可能となった。トミはこの理事長に就任した。同1953年に帰化し、ブラジル国籍となった。
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