細川非自民連立政権から自公連立政権までの経緯とは? わかりやすく解説

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細川非自民連立政権から自公連立政権までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:21 UTC 版)

日本の政治」の記事における「細川非自民連立政権から自公連立政権までの経緯」の解説

1993年平成5年)に自由民主党分裂し宮沢内閣不信任決議案衆議院可決され宮沢内閣衆議院解散選択した自由民主党一部議員離党して新党さきがけ新生党結成しこのあと行われた総選挙で、自由民主党公示前の勢力をほぼ維持したものの過半数割り込んだ。この選挙後召集され特別国会で、日本新党細川護煕内閣総理大臣指名され日本社会党新生党公明党日本新党民社党新党さきがけ社会民主連合民主改革連合連立により、細川内閣組まれ55年体制崩壊した。この連立次の羽田内閣でも維持されたものの、首相指名直後日本社会党連立離脱表明したため、少数与党内閣となった1994年平成6年6月羽田内閣在任わずか64日で内閣総辞職行い国会日本社会党村山富市内閣総理大臣指名し自由民主党日本社会党新党さきがけ連立内閣自社さ連立政権)が組まれた。この連立次の第1次橋本内閣でも維持された(閣外協力第2次橋本内閣1998年平成10年6月まで)。 1999年平成11年1月小渕内閣自由民主党自由党連立内閣小渕第1次改造内閣)となり、同年10月には公明党加わった小渕第2次改造内閣、自自公連立内閣)。翌2000年平成12年)に自由党分裂して離党した一部議員保守党(後に保守新党)を結成し連立残留した第1次森内閣自公保政権)。この連立は、次の小泉内閣でも維持されたが、2003年平成15年11月第43回衆議院議員総選挙後に保守新党自民党吸収され自民党公明党連立自公連立政権)となり、2009年平成21年8月第45回衆議院議員総選挙において、自民党公明党大敗し野党になるまで続いた

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