細川頼之の幕府内政強化とは? わかりやすく解説

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細川頼之の幕府内政強化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)

南北朝時代 (日本)」の記事における「細川頼之の幕府内政強化」の解説

正平23年/応安元年1368年4月、幼い将軍足利義満元服し、その烏帽子親となった室町幕府管領細川頼之実権握り名宰相として義満補佐した同年、頼之は寺社本所領事通称応安大法」)を発布しその後卓越した内政手腕によって幕府安定性確立していった。 同年南朝強硬派長慶天皇即位すると、和平派楠木正儀南朝内で孤立することとなった。そのため、翌正平24年/応安2年1369年)、頼之は調略によって南朝方の中心的武将であった正儀帰順させることに成功南朝強硬路線をとったことで、主要人材を失い、かえって勢力落とし幕府方体制確立することになってしまった。 文中2年/応安6年1373年)、頼之は、細川氏春楠木正儀赤松光範らを大将とする遠征軍編成し天野合戦南朝重臣四条隆俊敗死させ、南朝臨時首都天野行宮陥落させることに成功した。 しかし、橋本正督の鎮圧橋本正督の乱)に失敗政敵斯波義将らから訴追を受け、義満鎮圧における頼之の弱腰に批判的であったことから、天授5年/康暦元年1379年初頭康暦の政変失脚した

※この「細川頼之の幕府内政強化」の解説は、「南北朝時代 (日本)」の解説の一部です。
「細川頼之の幕府内政強化」を含む「南北朝時代 (日本)」の記事については、「南北朝時代 (日本)」の概要を参照ください。

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