篠原出羽守家とは? わかりやすく解説

篠原出羽守家(別家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 04:21 UTC 版)

篠原長次」の記事における「篠原出羽守家(別家)」の解説

別家の篠原出羽守家(一孝系篠原家家紋左三つ巴、のち左二つ巴)は、祖を弥助長重しながら初代を一孝とする。高野山にある前田利長五輪塔三番碑)背後には「芳春院様内」とされる6基の小五輪塔存在するが、高野山天徳院説明によると、そのうち5基は一孝(栄錦院殿岩道本大居士)と長男である篠原主膳一由(貞秀)と夫人前田利家の娘の保智)、次男篠原出羽守一次隼人、天澄院殿月英寒大居士夫妻のものであり、その中には芳春院玉泉院(利長の正室)が施主となっているものもある、ということである。一孝には男子が4人いたが、三男重一監物)以外はみな早世し、家は断絶した長男の貞秀は松平忠直に乱暴を働き配流され、代わって家督継いだ次男出羽守一次(11250石)の家も自身と子の岩松早世したため、「加賀八家制度ができる前に断絶した結局、一孝の子孫で続いたのは三男重一監物)の家だけとなった幕末東奔西走して藩政担った家老篠原一貞版籍奉還後は前田慶寧藩知事の下で大参事となる)は、この家の出身である。 藩政期篠原家は、本家別家は「加賀八家同格の家として、本家2つ分家合わせ、4家で前田家仕えた

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