第8交響曲の作曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:21 UTC 版)
「交響曲第8番 (マーラー)」の記事における「第8交響曲の作曲」の解説
1906年の夏、ヴェルター湖畔マイアーニック(Maiernigg)の作曲小屋で交響曲第8番を作曲。第1部はわずか3週間でスケッチ、8月18日には全曲を完成した。翌1907年の夏にオーケストレーションされ、妻アルマに献呈されている。 マーラーの初期構想では、4楽章構成であった。パウル・ベッカーによれば、当初のスケッチは以下のとおりである。 第1楽章 讃歌「来たれ、創造主たる聖霊よ」 第2楽章 スケルツォ 第3楽章 アダージョ・カリタス(愛) 第4楽章 讃歌「エロスの誕生」 このうち第2楽章と第3楽章は、交響曲第4番の初期構想であった「フモレスケ交響曲」のスケッチから、他の曲に採用されなかった断片を使うつもりだったが、ゲーテの『ファウスト』を歌詞に採用するに当たって、これらは削除、あるいは第2部へ統合されることになったものと見られる。 アルマの回想によると、マーラーは最初の2週間はスランプがつづいたが、ある朝、作曲小屋に足を踏み入れた瞬間に「来たれ、創造主たる聖霊よ」の一句がひらめき、うろ覚えのラテン語歌詞をもとに第1部を一気に書きおろした。しかし音楽が歌詞より長くなってしまい、マーラーはウィーンから賛歌の全文を電報で入手したところ、送られてきた歌詞はマーラーの音楽にぴったり収まっていたという。 実際には、マーラーは6月21日付けの手紙で友人のレールに、ラテン語賛歌の翻訳を手伝ってくれるように頼んでいる。また、マーラーは音楽に合わせて原詩を削除・入れ替えしたり、一部にはマーラー自身が加筆創作してもともと7節だった原詩を8節に拡大しており、アルマのいうような詩と音楽の「神がかり的」な合致があったわけではない。これについて柴田南雄は、「来たれ、創造主」の賛歌はカトリック教会では聖霊降臨節の晩課をはじめ、種々の儀式にグレゴリオ聖歌として歌われるものであり、マーラーがドイツ語のミサ典書か祈祷書を持っていれば容易に訳文を目にすることができたはずだと指摘している。このことは、マーラーのユダヤ教からカトリックへの改宗自体が宗教的理由からではなく便宜的なものであったことをも示唆するものである。なおドイツでは「復活交響曲」は復活祭に、本曲は「聖霊降臨節」に良く演奏されることもある。
※この「第8交響曲の作曲」の解説は、「交響曲第8番 (マーラー)」の解説の一部です。
「第8交響曲の作曲」を含む「交響曲第8番 (マーラー)」の記事については、「交響曲第8番 (マーラー)」の概要を参照ください。
- 第8交響曲の作曲のページへのリンク