第8代将軍の指名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:58 UTC 版)
第8代将軍に徳川吉宗を指名したのは天英院だとする説がある。理由として、家宣と吉宗の考え方が一番近かったからだと言われている。天英院は当時の江戸城内の最高権力者であったが、彼女が吉宗を指名したことに幕閣や譜代門閥は驚嘆した。大奥の女性が将軍を指名したことはそれまで例がなく、また女性が政治に口出しをすることすら考えられなかったからである。そのため、最初は誰しも難色を示したが、天英院は御台所としての立場を最大限に生かし、「これは先代将軍家宣公の御遺志なのです」と次期将軍に吉宗を強く希望したとされる。これにより、幕府は将軍不在という異例の危機を逃れることが出来たとされる。 これに対して、吉宗を推薦したのはライバルの月光院であり、熙子は尾張家の徳川継友や家宣の実弟の松平清武を次期将軍として推していたとする説がある。しかしこの説には史実的な根拠がなく、正確な出典先が不明である。ただし、尾張家と近衛家はこの当時縁戚関係を結びつつあったことは留意される。吉宗時代に入ると、天英院熙子と月光院は仲がよく、むしろ吉宗を推したのは大奥全体であり、尾張の継友を推したのは幕閣であったとも言える。
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