第57SS大隊とは? わかりやすく解説

第57SS大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)

アンリ・フネ」の記事における「第57SS大隊」の解説

1945年3月24日、「シャルルマーニュ師団生存者ノイシュトレーリッツNeustrelitzベルリンから約90キロメートル北に位置する都市)に移動し司令部隣町カルピン (Carpin) に設置した。翌25日師団は「45年擲弾兵師団」を基準とした1個擲弾兵連隊(2個擲弾兵大隊および1個重兵器大隊構成)に再編成するよう命じられアンリ・フネSS義勇大尉は第57SS大隊 (SS-Bataillon 57) の指揮任された。 「シャルルマーニュ師団連隊)第57SS大隊 (SS-Bataillon 57):1945年3月25日4月23日 ドイツ北部 大隊長 アンリ・フネSS義勇大尉 (SS-Frw. Hstuf. Henri Fenet) 副官 不明 中隊長 第1中隊 シャルル・ルメグ武装中尉(W-Ostuf. Charles Roumégous:戦意喪失)→ ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Jean-Clément Labourdette) 第2中隊 リュシアン・アンヌカールSS義勇上級曹長(SS-Frw. Hscha. Lucien Hennecart:4月中旬大隊本部小隊長就任)→ ピエール・ミシェルSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Pierre Michel) 第3中隊 不明 第4中隊 ジャン・オリヴィエSS義勇曹長 (SS-Frw. Oscha. Jean Ollivier) 1945年4月初旬ノイシュトレーリッツ地方統括するドイツ国防軍参謀グループ最前線より後方防衛線の視察行ったが、その際に彼らは武装親衛隊シャルルマーニュ師団連隊)のフランス人将兵対し防御施設対戦車障害物建設工事始めるよう命じたこのような労働部下士気低下させる懸念したフネは、命令そのまま部下伝えるだけで終わらせるようなことはしなかった。 工事開始日の朝、集まった部下前に立ったフネ制服の上着を脱ぎシャベル使って対戦車壕掘り始めた黙々と対戦車障害物建設工事続け大隊長アンリ・フネSS義勇大尉の姿を見た部下たちは1人また1人工事参加し最終的にフネ部下全員工事参加していた。 4月中旬、「脱走兵横領犯、窃盗犯死刑処す」という総統命令が「シャルルマーニュ師団連隊)に下達された。数日後宿舎として使用している農家電球盗んだ下士官数名フネのもとへ連行されてきた。総統命令従えばこの下士官たちは銃殺処されるはずであったが、フネ叱責だけで済ませることにした(しかし、脱走失敗して連行されてきた脱走兵に対しては、フネ軍法会議議長として容赦なく銃殺判決下した)。

※この「第57SS大隊」の解説は、「アンリ・フネ」の解説の一部です。
「第57SS大隊」を含む「アンリ・フネ」の記事については、「アンリ・フネ」の概要を参照ください。

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