フランスSS突撃大隊第3中隊
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「ピエール・ロスタン」の記事における「フランスSS突撃大隊第3中隊」の解説
1945年4月24日午前3時頃、グスタフ・クルケンベルクSS少将はベルリンから送られてきた「『シャルルマーニュ』師団(連隊)の将兵をもって1個突撃大隊を編制し、最短距離でベルリンまで来るように」という内容のテレグラムを受け取った。 クルケンベルクは直ちにアンリ・フネSS義勇大尉が指揮を執る第57SS大隊の全部隊、第58SS大隊の1個中隊、そして師団戦術学校から成る1個突撃大隊、すなわち「フランスSS突撃大隊」(Französische SS-Sturmbataillon)を編制した。この時、ピエール・ロスタン武装上級曹長の第58SS大隊第6中隊は、自分たちが第58SS大隊出身でベルリン行きを志願した唯一の中隊となったことを誇りに思った。ロスタンは整列した自分の中隊の将兵に対し、次のように言った。 「 野郎ども、俺たちはベルリン防衛のために出陣する! 第6中隊にはただの1人として臆病者がいないことを俺は願っているぞ。志願者は1歩前へ進め。 」 そして、一瞬の躊躇も無く第58SS大隊第6中隊の将兵125名全員が1歩前へ進み、ロスタンの第58SS大隊第6中隊はフランスSS突撃大隊第3中隊と化した。 ベルリン行きを志願したフランス人義勇兵たちには、「シャルルマーニュ」師団(連隊)に残されていた武器・弾薬のほとんどが与えられた。この時、フネの第57SS大隊出身の将兵はほぼ全員にStG44(突撃銃)が与えられたが、第58SS大隊出身のロスタンの中隊で運良く突撃銃を与えられた者は中隊全体の約3分の1の将兵だけであった。 なお、ポメラニア戦線敗退後のフランス人義勇兵たちに食糧が満足に支給されたのはこの時が最初で最後であったが、彼らは食糧を多く持って行くよりも弾薬を多く持って行くことを選んだ。
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