フランスSS突撃大隊第4中隊
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「ジャン・オリヴィエ (武装親衛隊)」の記事における「フランスSS突撃大隊第4中隊」の解説
1945年4月26日早朝、フランスSS突撃大隊はノイケルン区役所とその周辺に布陣し、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」の戦車部隊の支援を伴った反撃を開始した。ベルリン市街戦のノイケルンの戦いにおけるフランスSS突撃大隊第4中隊の編成は次の通り。 フランスSS突撃大隊第4中隊(1945年4月26日 ベルリン市街戦・ノイケルンの戦い) 中隊長 ジャン・オリヴィエSS義勇曹長(SS-Frw. Oscha Jean Ollivier) 副官 セルジュ・プロトポポフ武装連隊付士官候補生(W-StdJu. Serge Protopopoff) 第1小隊 フィーゼルブラン武装伍長(W-Uscha. Fieselbrand) 第2小隊 ベリエ武装連隊付士官候補生(W-StdJu. Bellier) 第3小隊 ポール・ソバージョ武装伍長(W-Uscha. Paul Sauvageot) ジャン・オリヴィエSS義勇曹長の第4中隊はフランスSS突撃大隊の予備兵力として待機していたにもかかわらず、ノイケルンの戦いが開始されてから間もなく激戦に巻き込まれた。ソビエト赤軍の対戦車砲、もしくは赤軍が鹵獲して使用していた「ノルトラント」師団の戦車からの砲撃を受けた第4中隊は、隊員15名もしくは17名(全員20歳未満)が血まみれの死体となって路上に転がり、中隊の多くの者が負傷した。 負傷者の中には第1小隊長フィーゼルブラン武装伍長も含まれており、彼は右脚を著しく損傷していたため、救急車を待っている間に戦友たちはナイフ1本でフィーゼルブランの脚を切断した。そして、中隊長オリヴィエは胸部と右手に砲弾の破片が突き刺さって負傷した(胸部に食い込んだ破片は脊椎骨2個の間に達していた)ため、副官セルジュ・プロトポポフ武装連隊付士官候補生に中隊の指揮を委ねた後、他の重傷者3名と共に救急車で後送された。 ノイケルンの戦いが開始されてから数時間も経たないうちに、第4中隊は3分の1以上の兵力を失った。
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