フランスSS突撃大隊への復帰
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「ジャン・オリヴィエ (武装親衛隊)」の記事における「フランスSS突撃大隊への復帰」の解説
1945年4月27日、前日のノイケルンの戦いで奮戦したフランスSS突撃大隊は「ノルトラント」師団長グスタフ・クルケンベルクSS少将(ベルリン到着後に就任)から1日の休養を与えられた。同日の午後、大隊副官ハンス=ヨアヒム・フォン・ヴァレンロートSS中尉(SS-Ostuf. Hans-Joachim von Wallenrodt)に率いられた大隊はオペラハウスからトーマスケラー醸造所、次いでベルリン地下鉄市中央駅(U-Bahnhof Stadtmitte)に移動した。 その途中、総統官邸からさほど離れていない場所でフォン・ヴァレンロートSS中尉は激しい砲爆撃にさらされたため、近くの建物内に駆け込んだ。 この時、ヘラーSS大尉のグループに同行していたジャン・オリヴィエSS義勇曹長は、30名ほどのドイツ人SS兵士、スカンディナヴィア人義勇兵と共に建物のコインランドリー(ヘラーSS大尉の指揮所)内で休憩していた。そして、部屋の中に入ってきたドイツ人将校の姿を見たオリヴィエは、その将校(フランスSS突撃大隊副官フォン・ヴァレンロートSS中尉)のもとへ駆け寄った。 オリヴィエの話を聞いたフォン・ヴァレンロートSS中尉はヘラーSS大尉を説得し、ようやくヘラーSS大尉はオリヴィエを彼の原隊へ戻すことに同意した。ヘラーSS大尉から二級鉄十字章を授与されたオリヴィエは近くの劇場の機械室で休養中の第4中隊と再会したが、中隊の生存者が20名以下に減少している現実を目の当たりにして愕然とした。 その間にも劇場周辺の上空を2機のソビエト赤軍(砲兵)観測機が旋回していたため、オリヴィエは2挺のMG42機関銃を対空機銃として設置した。やがて、建物の屋上に等しい高度で観測機が再び出現した時、第4中隊長代行セルジュ・プロトポポフ武装連隊付士官候補生は機関銃手の1人とすぐさま交替して狙いを定め、低速で飛来した観測機のうち1機を撃墜した(他の1機は逃げ去った)。
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