第57SS大隊第1中隊
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「ジャン=クレマン・ラブルデット」の記事における「第57SS大隊第1中隊」の解説
1945年3月24日、ドイツ北部で再編成中の「シャルルマーニュ」師団はノイシュトレーリッツ(Neustrelitz)に移動し、師団司令部をカルピン(Carpin:ベルリンから約90キロメートル北に位置する町村)に設置した。3月25日に「シャルルマーニュ」師団は「45年型擲弾兵師団」を基準とした1個擲弾兵連隊(2個擲弾兵大隊および1個重兵器大隊で構成)に再編成するよう命じられた。 当初、「シャルルマーニュ」師団(連隊)第57SS大隊(SS-Bataillon 57:アンリ・フネSS義勇大尉)の第1中隊長はシャルル・ルメグ武装中尉(W-Ostuf. Charles Roumégous)であったが、ルメグが戦意を喪失したことで大隊長フネはルメグの代わりにラブルデットSS義勇少尉を第1中隊長に据えた。その後、ラブルデットは第57SS大隊第1中隊長として勤務する傍ら、大隊内の窃盗犯や脱走兵の裁判(軍法会議)において議長であるフネの助手を務めるなどして時を過ごした。 1945年4月14日、カルピンで再編成中の「シャルルマーニュ」師団(連隊)に、1945年1月から4月初旬までチェコのベーメンにあるSSの軍学校「キーンシュラークSS装甲擲弾兵学校」(SS-Panzergrenadierschule Kienschlag)で将校教育を受けていたフランス人士官候補生20名以上が合流(復帰)した。そして、ラブルデットSS義勇少尉の第57SS大隊第1中隊には次の5名の士官候補生(いずれも20代前半の若者であり、非常に士気旺盛なフランス人義勇兵)が配属された。 アンドレ・ブルミエSS義勇連隊付上級士官候補生(SS-Frw. StdObJu. André Boulmier) ジャン・コサールSS義勇連隊付上級士官候補生(SS-Frw. StdObJu. Jean Cossard) ジャン=マリ・クロアジル武装連隊付上級士官候補生(W-StdObJu. Jean-Marie Croisile) マクシム・ド・ラカーズ武装連隊付上級士官候補生(W-StdObJu. Maxime de Lacaze) ジャック・ル・メニャン・ド・ケランガSS義勇連隊付士官候補生(SS-Frw. StdJu. Jacques Le Maignan de Kérangat)
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