キーンシュラークSS装甲擲弾兵学校
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「アンドレ・レジボ」の記事における「キーンシュラークSS装甲擲弾兵学校」の解説
1944年2月17日にコルスン包囲戦を辛くも脱出したSS突撃旅団「ヴァロニェン」は、被った損害を回復するため、同年の春に再編制を開始した。 レオン・デグレルSS少佐の演説や、ベルギー本国における凱旋パレードなどを通じて旅団が新たな義勇兵を募る一方、アンドレ・レジボSS伍長を含む旅団の古参下士官の何名かはキーンシュラークSS装甲擲弾兵学校(SS-Panzergrenadierschule Kienschlag)に入学し、同校の(ワロン-フランス)戦時武装将校教育課程((Wall-Franz.)Kriegs-Waffen-Junkerlehrgang)第1期生として将校教育を受けた。 キーンシュラークSS装甲擲弾兵学校に在籍中、レジボは前線での勤務を何度も希望した(この頃、第5SS突撃旅団「ヴァロニェン」から抽出された「リュエル」戦闘団(Kampfgruppe Ruelle)が7月下旬にエストニア戦線へ派遣されていた)が、彼の申請が認められることはなかった。 1944年9月1日、レジボはキーンシュラークSS装甲擲弾兵学校(ワロン=フランス)戦時武装将校教育課程第1期を首席で卒業し、同期の者に先んじてSS少尉(SS-Untersturmführer)に任官した。その後、11月まで同課程の将校団指揮官(Junkerschaftsführer)を務めたレジボSS少尉は、旅団から師団へ昇格した第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニェン」の第69SS擲弾兵連隊第1中隊長に就任した。
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