第57回から第60回記念大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/20 09:27 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権山陰大会」の記事における「第57回から第60回記念大会」の解説
西中国大会の編成県山口県と東中国大会の編成県岡山県が1975年の第57回大会から正式に一県一代表参加することとなったため両大会が消滅。後には島根県・鳥取県が残ったがこの当時両県は一県一代表参加に足りる学校数に達していなかった。そこで両県は1947年の第29回大会以来中断していた山陰大会を復活させることとなった。そしてこの大会から復活したが復活以降は島根県のための大会となっていて毎年同県から代表校が出ていた。 1979年の第61回大会から鳥取県・島根県が正式に一県一代表参加となったため消滅した。 全体を通しての結果は鳥取県勢が21勝11敗だった。
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