第3期 ビー・バップ・デラックス
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「ビー・バップ・デラックス」の記事における「第3期 ビー・バップ・デラックス」の解説
ライブのサポートメンバーであったアンドリュー・クラーク(K)が正式メンバーとなり、1976年2月、ジョン・レッキーとビルの共同プロデュースによる『炎の世界』をリリース。アルバムが全英17位、シングル「闇夜の航海」(原題"Ships in the Night")が全英23位となり、ライブ・ステージの完成度なども含め高い評価を受ける。この後、レッキーとビルの共同プロデュースは、ビー・バップ・デラックス解散後のレッド・ノイズまで続く。 以上3枚のアルバムは全てギターに関係したタイトルがつけられており、理由として「これらはギター中心の音楽を追求したことの暗喩である」という意味の事をビルは述べている。 アメリカでの実質デビュー作となった『炎の世界』のリリースに合わせて、1976年3月より、スティクス、エレクトリック・ライト・オーケストラなどのサポートとして全米ツアーを行ったあと、1976年10月、LP片面半分が組曲というコンセプチュアルな『モダン・ミュージック』をリリース。その後、ニュージーランド国籍であるトゥマハイの就労ビザの問題等が起こるも、ビー・バップ・デラックスは人気、パフォーマンスともに最盛期を迎える。 1977年7月、LP1枚EP1枚の2枚組という変則的なライブ・アルバム『ライヴの美学』をリリース。全英10位とライブ・アルバムとしては異例のセールスをあげる。ビル自身がアルバムの内スリーブに、「'77年春のツアー」との文を書いているため、ライブ音源は「モダン・ミュージック・ツアー」からとされる場合が多いが、『モダン・ミュージック』からの選曲はない。 1978年2月にリリースされた『プラスティック幻想』で、これまでのギターを中心としたバンド・サウンドから、大きくシンセポップ的なサウンドに変化する。このアルバムは、その後隆盛するテクノ、ニュー・ウェイヴに対するビルの先見性が認められるもので、新たな評価を得たものの、従来のビー・バップ・デラックスの音楽性を求めるファンを失う結果にもなった。アルバムリリース後、数度のライブを行うものの、ビルはビー・バップ・デラックスとして出来る音楽は終わったとしてバンドを解散する。
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