第2期ホンダF1時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 02:43 UTC 版)
1978年には四輪レースへの本格復帰を狙ってF2用の2,000ccエンジン(ホンダ・RA260E)の開発を開始し、1980年シーズンの半ばからヨーロッパF2選手権へ供給。翌1981年にはジェフ・リースがラルト・ホンダに乗りシリーズチャンピオンを獲得する。同年5月には本田技術研究所の副社長に昇格。続いて1983年にはF1用の1,500ccターボエンジン(ホンダ・RA163E)を開発してスピリットへ供給(1983年シーズンのみ)、第2期F1参戦をスタートさせる。同年の最終戦からはウィリアムズにもエンジン供給を開始。1983年にホンダ本社の常務に就任したことから、翌1984年の夏にはF1エンジンの責任者を桜井淑敏に託す。 1986年には本田技術研究所の社長に就任、名実ともにホンダの製品開発の総責任者となる。1989年にはホンダ本社の専務に昇格。翌1990年にホンダの第4代社長に就任。 1992年7月、「初期の目標を達成した」との理由で、今シーズン限りでF1活動から撤退を表明。実情は1990年末の段階で撤退決定しており、マクラーレンチーム側にも伝えていた。しかしホンダ社内では、参戦継続を訴える社員も多かった。 一方で市販車の分野では、ホンダ初の国産スーパースポーツカーとも評される「ホンダ・NSX」の開発を企画し、1990年の発売にこぎ着けるまで尽力している。
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