第2期ブラバム時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:32 UTC 版)
「リカルド・パトレーゼ」の記事における「第2期ブラバム時代」の解説
1986年 ブラバムに復帰する。この年のマシン「BT55」は、安定性を高めるべく、車高を極限まで低くした形状をしており、ゴードン・マレーの渾身作だった。しかし特殊な設計のマシンは扱いにくい上にトラブルが続出。パトレーゼは、6位入賞が2度のみという成績でランキング15位に終わった。また、チームメイトだった同胞のエリオ・デ・アンジェリスが、テスト中に事故死する悲劇にも見舞われる。 1987年 前年の失敗から、チームはセルジオ・リンランドの手によりオーソドックスなマシン「BT56」に手直ししたが引き続き苦戦を強いられ、パトレーゼの入賞は前年同様2回に留まった。しかし、第14戦メキシコGPでは3位となり、3年ぶりに表彰台に上がっている(他の入賞は5位1回でランキング13位)。 アルファロメオ時代と第2期ブラバム時代は共にチーム力低下のタイミングと重なっており、結果的に不遇の時期となった。
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