アルファロメオ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:27 UTC 版)
「ブルーノ・ジャコメリ」の記事における「アルファロメオ時代」の解説
1979年、アルファロメオから4レースにスポット参戦した。翌1980年にはアルファロメオからフル出場を果たしたが、アルファロメオのマシンは信頼性に欠けリタイヤを繰り返した。最終戦のアメリカグランプリではリタイアしたものの、初のポールポジションを獲得した。1981年はかつてのワールドチャンピオンであるマリオ・アンドレッティがチームに加わったが、マシンの信頼性の欠如は続き最高位は最終戦のラスベガスグランプリで獲得した3位だった(これがジャコメリにとっての唯一の表彰台となった)。翌年もアルファロメオに在籍したが成績は低迷し、シーズン途中から新マシンを投入したことで完走率こそ上がったが、入賞はドイツグランプリでの5位1回のみにとどまった。
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アルファロメオ時代
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「リカルド・パトレーゼ」の記事における「アルファロメオ時代」の解説
1984年 アルファロメオに移籍するが、成績が低迷し表彰台は第14戦イタリアグランプリの3位1回、これを含めて3度のみの入賞となり、ランキングは13位。中盤には7連続リタイヤも喫した。 1985年 1985年は16戦中完走4回、最高位も9位に留まる。自身のF1キャリアで初(結果的には17年間で唯一)のノーポイントに終わる。
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