BT49
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 16:13 UTC 版)
ブラバムは1979年シーズンをアルファロメオ製V12エンジンを搭載するBT48で戦っていたが、パワーこそあれど信頼性が低く結果が伴わなかった。また、同年にはアルファロメオのワークスチームが復活しており、当時ブラバムのオーナーだったバーニー・エクレストンはブラバムがアルファロメオからセカンドチーム扱いされることを避けたかった。こうした事情からV型8気筒のコスワース・DFVエンジンへのスイッチを決め、終盤2戦からはDFVを搭載する新車BT49を投入した。エースドライバーのニキ・ラウダはこのマシンをカナダグランプリのフリープラクティスで走らせた後、突然引退を表明した。これはラウダが12気筒エンジンと比べてかなり劣るDFVのパワーに失望したためとされる(ラウダはF1デビュー以来ほとんどのレースを12気筒エンジンで戦っていた)。 BT49はモノコックなど多くの部分でBT48をベースにしており、BT48をDFVエンジンに合わせて作り直したマシンといえる。モノコックはBT48のアルミモノコックをカーボンパネルで強化したもので、この手法はBT50まで使用された。サスペンションはBT48と同じ前後プルロッド。ギヤボックスもBT48と同じくヒューランドFG400のギヤにアルファロメオ製のケースを組み合わせたもの。大きく変わったのは燃料タンクで、アルファロメオ製エンジンと比べて燃費の良いDFVを採用したことにより、30L近く容量を減らすことができた。これによって乾燥重量で15kg以上、フルタンク状態では40kg以上の軽量化となった。 1980年はBT49を継続使用した。前年はアルファロメオ時代と同じ赤いカラーリングだったが、この年から白と濃紺のカラーリングが登場。スポンサーにはパルマラットが残った。シーズン中盤には改良型のBT49Bが投入されたが、F1フル参戦2年目のネルソン・ピケはBT49Bの挙動を好まずBT49に乗り続けた。第4戦アメリカ西GPでポールポジションから初優勝すると、ウィリアムズのアラン・ジョーンズとドライバーズタイトル争いを展開した。終盤オランダグランプリとイタリアグランプリの2連勝でポイントランキング首位に立ったが、第13戦カナダGPのリタイアで惜しくも敗れた。コンストラクターズランキングは3位。
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