第2期ベネトン時代、引退
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「ゲルハルト・ベルガー」の記事における「第2期ベネトン時代、引退」の解説
1996年 ベネトンへ10年ぶりに復帰した1996年は、「シューマッハ・スペシャル」と呼ばれるピーキーなシャシー特性に苦労し、シーズン序盤から調子が上がらなかった。そんな中第11戦ドイツGPは、この年ベストグリッドとなる予選2位からスタート、決勝でもスタートを決めて最終盤までレースをリードするが、残り3周というところでエンジンブローに見舞われ勝利を逃した(13位完走扱い。)同年はこのドイツGPが最大の見せ場であった(ランキング6位)。 1997年 ベネトンに残留しB197で戦う。第2戦ブラジルGPで2位に入るなど結果も残したが、多くのGPで予選2桁グリッドに沈んだ。更に慢性蓄膿症のため、第7戦カナダGPから3戦を欠場。この間に父親を飛行機の墜落事故で亡くすなどの不幸も重なり、引退がささやかれる中で復帰戦・第9戦ドイツGPに臨んだ。ここでベルガーは2年ぶりのPPを獲得、決勝でも若手ジャンカルロ・フィジケラの躍進もあったが、終わってみればFL・そして優勝と、PPも含め全てを独占する完勝劇を演じてみせ、結果的にこれが最後のF1優勝・表彰台となる。 また、1987年を最後に開催が途絶えていた地元オーストリアGPの開催に尽力、第14戦として10年ぶりにオーストリアGPの開催にこぎつけた。しかし、このレースでベネトンはマシンバランスに苦しみ、ベルガーも10位完走が精一杯であった。結局、同年のシーズン終了間際にF1からの引退を発表。この際、本人は「休養」と表現した。現役最後のレースとなった最終戦ヨーロッパGPは4位完走。ドライバーズ・ランキングは前年より上の5位であった。
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